電源を入れてください~都市ノォト~
生きていることを記録する
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メモ
11月18日~ ルナシー(ヤン・シュヴァンクマイエル 新作)☆☆☆

ラフンタフ~(シアターN)☆☆

11月24日フィルム文化を保存させる回vol.2 (アテネ・フランセ)☆

11月24日 UMB東京予選 ☆☆☆

11月25~26日 劇団カンキ船 第四回公演 ☆

11月25日 デリシャ カーニバル とびだせ!人間(山田広野)☆☆

11月30日~12月3日 「ファウスト」(東京芸術劇場)

11月30~12月3日 銀河鉄道 (害獣芝居第一回公演)☆☆

12月6日~20日 野火(俳優座 大岡昇平 鐘下辰男)☆☆

12月2~8日 いまおかしんじ特集 ☆☆

12月3日 アニスタ ケモノズメイベント ☆☆☆☆

12月6日 ベケット『カタストロフィ』

12月9~22日 おじさん天国(いまおかしんじ) ☆☆

12月13日~17日 注文の多い料理店(シアタートラム 人形劇)

12月15日~24日 ☆☆☆ 
メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス
(黒テント 第60回公)

12月16日 マニアの受難(ムーンライダーズ関連)☆

12月16~1月3日 お台場SHOW GEKI城

2007~ 朱霊たち ☆☆☆

3月24日 やってきたゴドー
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ある夜―老いた大地よ (ベケット)@シアタートラム
ベケット童貞を捨てた日

beckett.jpg



劇概要

精神に障害を抱えた老婆が一人舞台の上をウロウロしている。足元からはどこまでも伸びる一本のロープが垂れており、言葉になっていない言葉(過度の吃音)を発しながら舞台上に打たれた杭にロープをはっていく。そこに老人(理性の成れの果て)が登場しブツ切れの散文的な言葉で何かを回想するが、途中、意識が引き裂かれ言葉が二つに分裂してしまう。終いには切り取られた地面の上に倒れこみ、舞台上に張り巡らされたロープで体を拘束されながら、言葉を失う。



これまで見てきた中で最も難解な演劇であった。
舞台の上でベケットは意味や価値というものを次々に壊していく。
自明性と云う"あたりまえのこと"は、そこには存在しない。
意味すら存在しないし、必要としない演劇。
もはや演劇ですらなかった。


まず言葉。
老婆が過度の吃音であるために、意味の代名詞とも言える台詞を聞き取ることが非常に困難である。それにより言葉という演劇にとって重要な構成要素がノイズとなり、意図的に消尽されていく。そして老婆が気狂いのために、たとえ言葉を追うことが可能であったとしても結果的に意味と価値が消尽する。老婆の台詞はこんな感じ。

ね、ね、ね、ね、ね、ねねねねこ、ねこ ねここ ねこ ねここ が が が ねころ ねころ?? ねころんで、 ねころんで? 転んで? コロンで??  ねこ?



老婆は吃音を発しながら白いロープで黙々と舞台の上に舞台(能舞台)を作り上げる。これは出演者である観世榮夫(栄夫)が後で能を舞う為のフラグ。こうして純粋無垢なカオスフィールドにようやく意味らしい意味、舞台(ハコ/セカイ)が出現する。

後半はベケットの著書である「また終わるために」の中の散文をグチャグチャにカットアップサンプリングしたような台詞によって構築されていた、といか言いようがない。台詞というよりも中途半端に消化された吐瀉物(ゲロ)に近い。ぐちゃぐちゃという言葉でしか形容することが出来ない、語りえぬ劇。分裂病的なテクスト。
観世栄夫がズンズンと能を舞っていた。これは素人の僕でも理解できた数少ない演出の一つ。

途中、意識(言葉)が分裂してしまい、天から降ってくる自分の言葉(あらかじめ録音されもの)との対話?に切り替わりながら、無意味な老人は無意味な言葉を発し、切り取られた地面(立てかけられた地面)に寝転び(観世榮夫がロッククライミングのような感じで必死につかまっている)、気狂い老婆にロープで巻かれて終幕。


言葉と空間が"消尽していく"(ドゥルーズ)過程が描かれているということに気が付かなければ、劇から何も抽出することが出来なかっただろう。この演劇は観念の具体化といってもいい。もっと分かりやすく言えば、ベケット論の視覚化なのだ。僕らはベケットの作り上げた物語(世界)を見ているのではなく、咀嚼されたベケット論を観客席で見させられているのである。それゆえに一ページたりともベケット論など読んだことのない無学な僕には余りにもハードルが高かったといえる。「馬鹿お断り」って会場の入り口に貼っといてくれよ。


舞台上をゆらゆらさ迷い歩きながら破壊された断片的な言葉を吃音で発する老婆とは、「生まれる前から降りていた人」「 生まれてすらいない人」という「また終わるために」のなかの一節からイメージを膨らませたものなのだろうか。まともにベケットを読み解いたことのない僕には、これ以上の解釈は不可能。黙することしか出来ない。

俺は生まれるまえからおりていた
そうにきまっている
ただ生まれないわけにはいかなかった
それがあいつだった 俺は内側にいた 

中略

俺が声を持っているなんて
俺が考えを持っているなんて
そんなことはあるはずがない
そのくせ俺はしゃべっている



精神病理/分析学の影響を受けているということがこの散文から読み取れる。ベケットは解離性同一性障害や精神分裂病、離人症などのイレギュラーな精神になみなみならぬ興味を持っており、その結果がこの散文なのだろう。実際にユングの公演に足を運んだりしていたらしい。

現代の感覚からすれば、ユングなんてプップーだけれど、言葉や人格が引き裂かれていく(意識と身体の乖離)を描く分裂病的テクストそのものが当時は非常にレアなものだったと。レアだからよいというわけではなく、文学という形式にまで昇華させた事が一つの偉業であるのだ。僕らはその偉業を目の前にして、ヘトヘトになる。



観劇後のポストトークには、市松弘正、吉増剛造、宇野邦一氏らによる、ベケット論。ベケットの詩が英文で書かれたプリントを渡された瞬間に、大学の講義を受けている錯覚を覚えた。いやはや、冷や汗。1時間半にわたる講義の末、解散。いやぁ疲れた。心底疲れた。


講義は断片的にしか覚えていないが、吉増氏によるベケットの言語感覚の秀逸さに関する言説と、舞台に張られた白線(ロープ)を見て、「あたかも一つの精神からのように導かれる」というスピノザの言葉を思い出したという市村氏の話が面白かった。そういえば確かに一本の線だけがカオスという側面から離れていて、唯一正常さを保っていた。舞台のアンデンティティが一本の線(スピノザ)に回収されると、なるほど分かり易い。あー、そうか、ベケットを理解するためにはスピノザを読んでおかなければいけないわけねって、読めるかよ。スピノザとベケットの相違点を30分にわたり説いていたのだけれど、半分も理解できなかったお。

切符の買い方を知らなければ電車に乗れないように、スピノザを読んでおかなければベケットは理解できないと。その前にドゥルーズを読めよ。読めるかな。なんとなかるよ。きっと。終幕
風をあつめて、シングルベッドの上で。
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昨日は友人の引越しの手伝いで一日中てんやわんや。

その後は友人のおごりで一次会、二次会、路上飲み会という三次会を経て、結局アパートの管理人みたいな人に怒られて世田谷区の掃除をする羽目になるという意味の分からないシュールな木曜日。

私有地っぽい場所に腰をかけて酒を飲みつつ、遠藤賢司の曲やら北朝鮮批判の歌を聞いてちょっとばかり強気になっている僕らは確かに迷惑なアウトローであった訳だし、弁解の余地なんてものは微塵も生じない訳で、「ごめんなさい、本当に申し訳ないです、もし良ければこの場で腹を切ってお詫びします」となんとも見っとも無い平謝りを繰り返すと、流石に管理人(のような人)も気の毒に思ったのか「別にいいんだけど、よごされるとねぇ」と言い、僕らにホウキとチリトリを渡して掃除を要求。どうしようもないので素直に掃除をして撤退。実はそのアパートは、友人が引っ越したばかりの新居であったという傍迷惑な話。
本当にごめん、早速迷惑をかけてしまった。

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「あの手の権威主義者には下手に出るのが得策なのさ」と負け惜しみにも似た本当のことを言いつつ撤収。疲れた。

http://www.youtube.com/watch?v=z2AfJDoMoIg

悲しいことに、何でもかんでも"はっぴいえんど"という訳には行かないのが社会というものらしい。気取っていた僕が馬鹿でした。

http://www.youtube.com/watch?v=cqTDmH-ZIlw

天声人語に現代詩が載った日
 ここはどこだろう。まっくらだ。ワタシがだれなのかもわからない。まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。これから、どうなるのだろうか。

 てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。

 ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。せまいこのばしょではきゅうくつだ。そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。

 「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ」。「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。

 あれあれっ、そとへおしだされそうだ。すごいあつりょくだ。だれも、でたいかどうかきいてくれない。きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。

 ついに、そとへでた。ひかりがまぶしい。あたらしいせかいのはじまりだ。からだに、ちからがわいてくるようなきがした。ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。


【天声人語】2006年10月18日(水曜日)付
http://www.asahi.com/paper/column20061018.html

朝日新聞が如何に"美"を重要視しているかが分かる事件。
編集者/執筆者の芸術観がニョッキリ顔を出している。
言語にとって美とはなにか。うーうー。

新聞にもある程度遊びがあって良いとは思うけれど、果たすべき社会的役割は忘れてはいけないし、読者が混乱するような文章は極力避けるべきである。ちなみにこの詩の様なものは同日の朝日新聞の生活面を読んでいないと理解できないと思われる。(読んでいても理解できないが。)微妙に代理出産を批判しているようにも受け取れるし、そう誤読された(?)結果として起きるであろう"代理出産批判"批判を、詩を装うことで回避しているようにも見えてしまう。
全国紙の一面を飾る文章としては余りにも曖昧かつ稚拙であるというのは、確かだ。

文章なんてものは誤読が付き物だし、誤読されて初めて価値が生まれたりするものだったりもするけれど、800万の部数を誇る全国紙が自分から誤読を誘うなんて、やっぱどうかしている。

天声人語に載せるということはそれなりに政治的意味を持つ詩であるわけで、それを思うと余計に後味が悪い。
政治と美、ウゲェェー
西成の涙
日本刀を自由に持ち歩けるのは西○区だけ!
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という偏見。
っていうか本当にこのオジさんゴミ袋に日本刀仕込んでるし。必殺シリーズの見すぎですよ!なにかの間違いかカメラクルーの演出であって欲しいと願うが、こんな小さな雑誌がやらせをするとは思えないし、ようするにまぁそういうことなのだろう。
それにつけてもアヴァンギャルドな格好だなぁ。
大友の漫画に出てきそう。


西成暴動 - 1990
http://www.youtube.com/watch?v=F3kvwWE1PKU
(子供が火炎瓶を投げている)

新今宮駅ガード下
http://www.youtube.com/watch?v=FbmztL1k03k

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日雇い労働者の皆さん!
保険手帳に「健康保険印紙」を貼ってもらいましょう。
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アニメーターの労働環境って、実は日雇い労働者以下なのではないだろうか。別にこれは職業差別というわけではなく、心底疑問なのだけれど。アニメーターに失業保険なんて出ない、はず。システムの存在すら怪しい。というか、みんな国民年金は払ってんのかなぁ・・健康保険にすら加入していないという危うい話をちらほら聞くのだけれど。

アニメ業界にも一応労働組合や、映像業界とリンクした組合が存在するようだけれど、やはり限定的。それに発言力の無い組合なんて無いも同然なわけでね。部外者が口を挟む問題ではないのだろうけれど、気になってしかたがない。

映産労(映像文化関連産業労働組合) ブログ
http://anirepo.exblog.jp/
(読み物として非常に優れている)

映演労連フリーユニオン
http://www.ei-en.net/freeuni/

東映動画労組
http://members3.jcom.home.ne.jp/doga-uni/
現在の書記長ってだれなんだろ。


新人アニメーター向けアニメーター生活・基本技
http://www7a.biglobe.ne.jp/~animation/life.html

近藤喜文さんと映産労
http://seijiari.exblog.jp/i13


Wikipedia - 労働組合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88

放送業界やアニメ業界は労働環境が過酷なことで知られるが、組合を作ると仕事をもらえなくなるとして労働組合をタブー視する風潮がある。



なぜアニメーターは組合を作ろうとしないのか
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/iga/1121614720/

絵は日本人じゃなくても描けてしまうから強く出られないと、そういう理屈らしい。


日雇労働者特例健康保険
社会保険や政府管掌保険の日雇い労働者用の制度。しかしほとんど使われていない。掛け金は労働者と業者の折半負担だが、印紙代は高く、土木建設業で加入している業者は少ない。2ヶ月で28枚を集めた場合に限り制度が利用できる(集めないと掛け捨て)が、その際には「日雇労働者特例健康保険手帳」とは別の健康保険書をもらわなければならない。日雇い労働者の多くは国民健康保険に入っている。

アブレ
日雇労働者失業保険。2ヶ月で28枚の印紙を貼ると、3ヶ月目から「アブレ」がもらえる。1日分が6,200円。最高で13日分が支給される。

パン券
福祉事務所の発行する買い物チケット。たばこ と酒以外を所定の店で買うことができる。ただし、労働者が使える金額は、1日1枚でたった660円(消費税を含めて679円)でしかない。

餅代
年末一時金のこと。年末一時金が出るのは山谷・釜ヶ崎・寿だけ。1993年の寿の年末一時金は31,000円。要求は225,400円。支給基準は6月~11月間に印紙が3枚以上貼ってあること。


日雇い労働者用語集
http://boran.blog2.fc2.com/blog-entry-91.html
僕自身が、日雇い労働者になる可能性を少なからず孕んでいるため、興味本位というか微妙に切実な問題として、これらの用語は存在する。本当に知らないことばかりだ。間違えた、知らなくても済むようにならなくてはいけない。危ねーぜ、ふー。

僕のような金に縁の無い人間は、一日660円もあったらそれなりに飯が食えるんじゃないかと思ってしまうのだけれど、(豚めし2杯、チキンラーメンならネギとウィンナーを入れても5杯ぐらい食える)、肉体が資本の人たちである訳だし、そう簡単にはいかないのだろうか。

しかし、以前新宿で一緒に酒を飲んだ60過ぎの日雇い労働者は、「アパートも借りているし、稼いだ金で女遊びも出来る」と言っていたので、要領のいい人は実は意外と稼いでいるのかもしれない。あくまでも予想でしかないが。


Shingo西成
http://www.youtube.com/watch?v=vF1sp1Sup8M

ダンボールでマイホーム おっちゃん大丈夫?ってかける毛布 それ売って酒買うなって約束 ゴミあさると冷たいアスファルト いつもここ炊き出し集まると 公園ホームレスの楽園 仕事あぶれた辛さ消す酒で 有り金ありゃ賭博打ち遊び 腹へって満たすパンのみ

すべて賭けて金すってスッテンテン 哀れアバズレ崩れてルンペンペン 飲んで飲まれたふぬけでぐってんぐでん 肩で風きってもう日も暮れて 雨に濡れて濡れて震えて まるで捨てられた軍手


リアルであるという点において(のみ?)Shingo西成は評価できる、気がする。

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