電源を入れてください~都市ノォト~
生きていることを記録する
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遠くに行きたい そして思う存分絵を描くんだ
週間湯浅
http://www.style.fm/log/05_column/05_c_yuasa.html
僕の尊敬する湯浅政明の絵の過去ログ

お金が入ったらスキャナを買おう。
そんなことを一生懸命考えていた。



メモ

ハンター×2 28話、松本憲生パート。
http://www.youtube.com/watch?v=tCt3ZWaQ5uo&search=Hunter%20x%20Hunter%20
最後の方。審判が開始を宣言してから、ゴンをひれ伏すまで。

http://www.youtube.com/watch?v=JH0gw_i3olQ&search=Hunter%20x%20Hunter%20
30秒過ぎから約1分間。コンスタントに憲生原画。 



忍空22話 「雷鳴拳の恐怖
http://www.youtube.com/watch?v=75k9tVjSeaU
http://www.youtube.com/watch?v=aL1cU-IPb7M

作画監督/崔ふみひで
原画/星和伸、鈴木博文、佐藤真二、嘉村弘之、黒木めぐみ、福島喜晴、川添博基、外丸達也、吉成鋼、吉成曜、大久保宏、鈴木信吾、遠藤麻未、菅野由美子、澤田博範、崔ふみひで
どうスッペ・・・
いやはや,まさか6時まで眠りこけるとは思ってもいなかった。ふたご星のふたご姫を見終わった後に寝たわけだから8時間も寝ていたことになる。他人に迷惑をかけない人間になると云うのが此処最近の目標であったわけだけど,道は長そうです。本当にごめんなさい。
11畳のリング
僕の母親は本当にものぐさな人だった。よくテレビなどで掃除洗濯をほとんどしない,というよりする気や意識・義務感のない,"かたづけられない女"と呼ばれる種族の女性の特集があったりするけど,あれを少し稀釈させた感じが家の僕の母親像だと思ってくれればいい。
16の冬に自宅にヒキコモリって,初めて母親の作る朝ご飯を食べたというアーバンでモダンな記憶が物語る,母親の非母親像。そういえば小遣いと云うものも,引きこもり生活を初めてから,初めて貰った。徹底した管理教育と,それと釣り合わない両親像。たぶん一定クラス以上の大学の,学生の多くが両親に対し僕と同じような悩み・経験・不信感をもっているのではないだろうか。

んで,朝ご飯と言っても目玉焼きだけだったりするのだけれど,それでも毎朝目玉焼きがテーブルの上に置いてあるということが,僕には奇跡か幻覚にうつっていたのだから慣れとは不思議であり恐ろしいものだと思わされる。ちなみ僕がヒキコモリになったから母親がご飯を作り始めたのではなく(当然少しは関係があるだろうが),祖父が自分で飯を調達できない体になったからしぶしぶという理由の方が大きかったりする。
そんなわけだから,小学生のころは毎日毎日卵かけご飯を食っていた。というよりそれしか食うものがなかったというのが適切な表現。あとは納豆ご飯。お茶漬け,あるいは山崎の蒸しパン。4食の延々ローテーション。もちろんおかずなし。それが嫌で嫌でしょうがなくて,次第に朝飯を食わないで学校に行くようになり,体育の授業などで良くぶっ倒れていた。いわゆる貧血。よくいたじゃん,朝礼でクラクラってきて地面にへたり込む顔の青い奴が。あーこいつ体弱いんだな,可哀想だなって異性の同情をかったりする奴,そして同姓からは馬鹿にされる奴,あれが僕です。

保健室に担ぎ込まれると,
「朝ご飯ぐらい食べてっこなくちゃ駄目でしょ,ただでさえ,キミのお母さんは養護教諭なんだから」
と,母親を知る同職の教師の,僕の母親の批判とも取れる発言を聞きながらホット牛乳をちびちび啜ったりして,母親の駄目さを痛感したりしていた。つまり僕にとってホット牛乳は非母親姓の象徴でもあったりする訳なのだ。そして未だに山崎の蒸しパンは大嫌いです。

おまけに掃除もしない。洗濯もしない。半年ぐらいリビングに掃除機をかけなくても平気な母親,母親像。その辺ゴミだらけ。ゴミの中で生活し,飯を食う日常。一畳ほどもあるリビングテーブルの上の9割が,ゴミで埋まっていて,のこり1割のスペースで日常業務を行う生活。思い出しただけでも吐き気がする生活。
そのせいかどうかは知らないが,僕はノミ・ダニ・ハウスダストアレルギー体質に。掃除と換気を定期的に行わないと,体中がかゆくなる悲劇。そしてニキビのような赤いボツボツ。あとは,パンツを長く掃き回すコツを身につけたりとか。
高校生になってからはさすがに自分で洗うようになったけど。

そんな母親に育てられたためか,炊事掃除洗濯は結構できる。好きでもある。
シャンプーでシャツを洗うとか,信じられないわけで。っていうかパンツと靴下とシャツを同じ洗剤って洗うことすら信じられないのに。ちゃんとネットを使って洗ってますか。のびちゃいますよ。形崩れちゃいますよ。お気に入りの洋服が長く着られませんよ。それでもいいんですか。そんな小言ばかりをいうようになった。よくない傾向ですよ。

そんなこんなで今日は一日中掃除と洗濯の日。
専用乾燥室があるのがこの寮のよいところ。あっというまに乾いてく。
時間の流れを具体化することもなく,あっというまに。
さっきまで泣いていたと思ったら,いつのまにかクレープを食っている女性みたいに,あっというまに,変わってく,変わってく。
ボアソは僕には高すぎました
市ヶ谷に行って来た。
ボアソに入ってラックを物色してきた。
ゆきかぜがラックの6~7割を占めていたような気がする。
ゆきかぜを手に取る。ぺらぺらぺら。
『マルスの振り下ろした剣がロックの体に食い込む。不意打ちをくらったロックはその場にへたり込む。そこに追い打ちをかけるマルス。だがロックは間一髪でそれをよける。』
ゆきかぜをラックに戻す。
アニメの脚本を読んでいるようだった。
台詞とト書きだけで構成された小説を初めて読んだよ。
といいつつも面白い作品も幾つかありましたよ。

埃風の52号がなぜか隅の方に寂しく置いてあった。
54号からしかもっていなかったので,悪いなぁとは思いつつも一冊拝借してくる。
有楽町線内で読む。
スパルタの文章がない。
よく見ればなんと4年前の刊行物。
BOX518とか書いてある。
中にはスパルタの書いたと思われるチラシが折り込まれている。
最近印刷されたものなのか?
それにしてもなんで52号なんだろう。
疑問が残る。
もしかしたら,この頃の文章を餌に,ハードコァな後輩を呼び込みたいのかもしれないけれど,こういうのって誇大(古代)広告っていうんじゃ・・・・
いま,こんな汗だくの文章が書ける奴が一体何人日文研にいるのかしら。
もしかしたら,いやもしかしなくてもせいぜい一人くらいじゃないのか。
小説すら誰も書かないってのに。いやはや。
52号に心ときめいて,入部を思い立った人がいたとしたら(何人かいるんだろうけど)そいつはグレるね。間違いない。

んで求めていた演奏会のタダ券は見つけられず。一時間近く捜したのだけれども。
Ⅱ映と思われる連中が上映会を開いていたようだ。アリスがどうちゃらってやつ。
この人達は何時まで映画を憎み続けるのかしら。
卒業するまでだよ,きっと。
見ていこうか,あるいは完全に無視しようか,結構迷ったのだけれど,そろそろ不眠26時間目なので,"家に帰って寝る"にコマンドカソールを合わせてエンターキーを押す。
例え"映画を見ていく"コマンドを選んだとしても,開始5分でノンレム睡眠モードだろうし,どうせ寝るならばパイプ椅子の上よりひばりヶ丘のベットの上で寝たいということで,可能性をバッサリ切り捨てて帰宅。

西友でダイエットペプシを買って帰宅しようと思うと,小犬猫の移動販売市をやっている。こういう売り方は余り好きではないのだけれど,最近犬猫に触れていないこともあり,気晴らしになればと思い,目に付いたトイプードルの子犬(といっても未成犬)を小一時間マッサージしてやる。俺様のテクを前に腰を抜かす子犬コロ。あれは間違いなくイッてたね。ふへへ。ふと周りを見ると冷やかしの女子高生があっちにもこっちにも。ああ,子犬に熱中するあまり薄ピンクのパンツが丸見えだよ,そこのスクールガール。罪悪感。見るんじゃなかった。寄るんじゃなかった。

演奏会はどっちでもよくなった。タダ券は持ってない。招集がかかれば聞きに行ける準備はしておく。無ければグースカプー。そ,それだけなんだからね!
石立太一
http://uploader.fam.cx/data/u7628.gif
このカット(と多分これ以降も少し)の担当はもしかしたら石立太一さんなんじゃないだろうか。石立さんの絵をたくさん見たことがあるわけでは無いので,断言は出来ないけれど,AIR9話の八百比丘尼暴走前後のカットと印象が被るということと,なによりハルヒ9話の絵コンテ・演出を石立太一さんが担当なされている。それで原画にも参加していると云うことは,此処だけは自分でやりたいというこだわりのカットをやられている可能性が高いというわけであり,まあこのシーンの前後がトリだし,ハルヒにしては珍しく爆発シーンなどもあり,まぁ石立さんと見るのが妥当かと,そう思いまして。今後とも追いかけていきたいアニメーターの一人です。



http://anime.powerbean.jp/AIR/special/special27.html
以下引用
9話で八百比丘尼が爆発した前後のカットの原画を主にやらせて頂きました石立です。
『AIR』としては珍しく爆発やらカマイタチやらの激しいカットばかり、しかも、おまかせキャラばっかりで、非常に自由度が高く、楽しく描かせて頂きました。
おまかせキャラサイコー。楽しすぎて変な所にこだわっていらない事ばかりしてしまい、演出・作監さんにご迷惑をおかけしてしまいました。
そんな私のいたらないこだわりは置いておいて、SUMMER編ラストとなる9話、楽しんで観て頂けましたら幸いです。


こんなことを書きましたがやはり違うっぽい。
Air9話のAパートを見返しましたが,爆発の描き方が全然違う。
Airが2年前だからそこから作風が変わった可能性も否定できないけど,どうやら違う人みたい。石立さんは風の流れや爆発に弧状のエフェクトを使うのに対して,今回のハルヒ戦闘は,全体的に丸い感じ。

むしろ
「セカンドレイド!!」
のところが石立太一さんっぽい。
20060519003518.jpg


でもなんか石立さんっぽくもあるわけで。

20060519005002.jpg

20060519004951.jpg

20060519004935.jpg


それにしても格好いいよね。
くりぃむレモンしちゅう 萌え萌え同人誌ナイト
中央線に乗っていると前に座っている新社会人の男が
「えっ,最終面接で落ちることなんてあるの!?あれって全員受かるもんだと思ってた」といいのけた。もしかしたら冗談で言ったのかもしれないが,僕にはそうは見えず。さぞ,バラ色のお気楽人生を送ってきているのだろう。そんな社会人もいる。



萌え萌え同人誌ナイトに行って来た。
ロフト三昧の毎日。江戸拳破の独擅場と化しているのは驚くべき事ではないらしいが,彼の発言の8割近くが意味不明で困った。オタクイベントで固有名詞に全く反応できないというのも珍しい。さすがにポニーメタルやダンガイオー,もりやまゆうじ程度は基本として押さえてはあるが,当時の人気サークルの名前と作家の羅列では反応のしようがない。魑魅魍魎の世界を垣間見たという意味では非常に楽しめたけど。また,80年代初期の同人誌がどれだけアングラな存在であったか,法規制とモザイク処理がどれだけ同人誌を刺激のないものにしたか,今の同人誌と20年前の同人誌の決定的な違い,"げんしけん"がいかに軟派な存在であるか,などなど,いろいろなことを学べはした。ただ,僕のような若手のために,もう少しばかり当時の状況やサークルの説明があっても良かったのではないかと思う。同人誌を600冊も並べて,もくもくと20年前の同人誌を紀伝体のごとく無味乾燥に叙述していくのでは,イベントとしては微妙ではないのか?という疑問の提示。江戸拳破のコレクション自慢大会を見に来ているわけでもない。当時の状況や,それを経験してきた先輩達の話が聞きたいのだ。僕らも無料で見ているわけではないのだから,それぐらいのサービスは欲しいところ。お前なんかはお呼びジャねーよというのが彼らの本音なんだろうけど。ぐっすん

江戸拳破氏が若干若いせいか(30代中盤),四十路以上の猛者達からの野次がすごくて,外野からの野次を楽しむようなイベントに後半移行していってしまったのが残念。野次は野次で楽しかったから,いいのかもしれないけど,心ない野次は場を汚すので止めて欲しいところでもある。コミケ歴20年の30代が野次られるのだから,20そこそこの僕らなんかは,もはやゴミ虫みたいな扱いである。20代の若手が文章中に"大型コミケ・小型コミケ"という表現を使っていて,そこが読まれるたびに外野から嘲笑の爆笑が起きていた。コミケと云う言葉が,名詞から即売会という意味の代名詞へと変化してきていると云うことなんだろうけど,外野が一斉に「んなもんねーよ,ギャハハ」は酷いと思う。まぁそういう雰囲気のイベント。ガキは家に帰ってママのオッパイでも吸ってな,みたいな。結構新鮮なイベント。

挙げ句の果てには
「同人ゲームの歴史はタイプムーンから始まるんですよね?」
と言ってのける空気の読めない青年(生け贄)が現れて,またしても野次の嵐。この青年の歴史は90年代後半から始まっているのだろう。歴史を振り返らない若者の愚かさをひしひしと肌で感じた。何もないところから"月姫"がパッと現る訳がないことぐらい,少しぐらい考えれば分かるだろうに。だけれども,(僕もそいつの勉強不足は否めないとは思うが),ここは若いオタクをあざ笑う会じゃないんだから,大先輩方々も,もう少し後輩に対し思いやりが欲しいところでもあるわけで。確かにオタクはしばしば歴史を軽視する。これは自分の好きな対象物に与える重要度が,高すぎるために起きることであると僕は考える。だが今日のイベントに来ていた若手のオタク達は,過去を知ろうとしてこの手のイベントに参加しているんだろうし,そんな向学的な青年をノリで野次り,しかも大勢で嘲笑するんだからなぁ。まさに吊し上げ状態。南無阿弥陀仏。めったな事は言うものではない。まさに80年代のノリ。昔はオタクは体育会系でもあるという発見。素人はだまってろってこった。
僕はオタクではない
メモ

http://dat.2chan.net/18/src/11477153335409e29.gif
最近見かけたうまい人。
"涼宮ハルヒ"は作画的な見所がかなり多い。
先週のハルヒ立ちは完全なパースアニメ。
ビデオキャプチャソフトがないのが痛い。
なんか最近頭も痛い。

http://www.youtube.com/watch?v=C37p4QDCmeA&search=naruto%202%20movie

6分から7分ぐらいまでが橋本敬司

http://www.youtube.com/watch?v=AVWOOGffHrY&search=naruto%20op
17秒前後のジャンプが伊藤岳史
47秒から51秒ぐらいまでが松本憲生(+陰分身)
夕日をバックに青春するカットが鈴木博文だろうか

千葉崇洋さんは可愛い顔を描くので分かるかと思ったけれど,動きまでは知らないので判別不能。たぶん止め絵担当。
なんだか竹内てつや(竹内哲也)氏も参加してるみたいだけれど,竹内さんはアクションの人でもないし(僕の勝手な印象)どこやってんのかよくわかんねーよというのが正直な感想。ハチクロ6話の一人原画はあまりにも有名だけれど,それ故に,結構性的な絵を描く人としてしか認知できないでいる。


http://www.youtube.com/watch?v=8gNmaJudJ_c&search=naruto%20op
43秒から57秒までが竹内哲也氏。これは確定。
松本憲生の名前がクレジットされているのに担当カットがないのは,たぶん作業が遅れていてまだ間に合わなかった頃のOPがうpされているためと思われる。
完全版ではガチガチの憲生戦闘が10秒近くみられる。

http://www.youtube.com/watch?v=f6DHbyjkjC4&search=naruto%20op (完全版)

すごいっすね。そりゃ間に合わないわけだ。
こういう些細な変化に子どもの頃から気が付く奴が偉大なオタクに成長していくのであろう。僕は気が付かなかないタイプの人間だったので,しょうもないオタク崩れとして,こっそりひばりヶ丘に存在している。
今日も相も変わらず酔ってるよ
先週,酔った勢いでチンチン周りの毛を全部そり上げてしまったので,お風呂に入るのがやや恥ずかしい感じ。でも明らかにそこには快楽があり,不思議な気分。生まれたままの僕をどうぞみたいな感じで,完全な羞恥プレイなのだ。ジロジロ見て来る人はさすがにいないけれど,チラ見はされているだろう。
ゲイ用語でガチムチな方々が多い僕の寮,あそこも異様にデカかかったりする。なのに毛で隠れていてよく見えない。いや,別によく見たいというわけではないのだけれども,みんな全然手入れをしていない,というか生まれてこの方,チン毛を手入れする気にすらなったことのないような方ばかりなので,結構ショック。
ここで改めて主張するが,体に生えている毛は全て,何らかの加工を施すべきであり,加工を施すが故に,人為的な意志が介入するからこそ,そこに美が生まれると,僕は信じている。眉毛やもみ上げと同じ。棒が隠れてしまうほどチン毛をはやしていて,もし女の子にくわえて貰うようなシュチュエーションが訪れたときに,そんなんでどうするつもりなのだろうかと,どうでもよい雑念が脳裏をよぎる。
この程度で自分を"変態"呼ばわりしたくはないけれど,なんだかどんどんエスカレートしていきそうで怖い。親元を離れることで性が解放されることを知る。そんな毎日。
革命はいつおきるんですか?革命かは老後どうするんですか?社会保障は?
革命家と言いつつバリ左翼が塩見しかいないっぽいのがやや不満,というか不安材料。どっちかというと右翼よりのイベント。まぁ生で塩見や鈴木邦男や木村三浩に会えるのだから文句は言えない。安保闘争や当時の革命事情を色々聞いてみるのもいいかも。たぶん閑散としたイベントになると思うので,質問・お悩み相談は多くてもOKだと思います。質問する前には必ず「天皇陛下万歳」と言うことを忘れずに。

当日悩みを400文字前後にまとめていくと,入場料から300円割引されます。基本システムは入場料に1500円(-300円)かかり,あとは飲食代幾ばくかです。3000円あれば十分かと。

20日の演奏会の件ですが,演奏曲目と公演場所を教えてくれれば助かります。バッハとかモーツアルトとかシューマンとかシューベルトとかじゃなければ行きます。
そうだ!革命家に聞こう!! 詳細 参加される場合は人生相談(悩み)を400前後にまとめてもってくること。
そうだ! 革命家に聞こう!
author : 雨宮処凛
 お待たせ致しました!
「雨宮処凛のわくわくお楽しみ会」第二弾を、5月31日、ロフトプラスワンで開催致します!
 詳細は以下!

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雨宮処凛のわくわくお楽しみ会 VOL.2
「そうだ! 革命家に聞こう!一革命家があなたの人生相談に答えます一」

 悩みがあるなら革命家に聞こう! きっと想像もしない答えを革命家は示してくれるはず。年間自殺者三万人の時代、自殺する前にあなたの悩みを「格差社会」や「資本主義」なんかのせいにしてLet's革命! ちょいダメオヤジの愉快な革命家&若者の生きづらさをテーマにしてきた雨宮処凛があなたの悩みをブッた斬ります。相談したいことがある人は、悩みを400字ほどにまとめて受付に提出して下さい。

出演 雨宮処凛(作家・革命家)、塩見孝也(元赤軍派議長・革命家)、鈴木邦男(新右翼一水会顧問)、木村三浩(一水会代表・革命プロモーター)、平野悠(ロフト席亭)、土屋豊(映画監督)

5月31日(水)
新宿ロフトプラスワン 新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビルB2 03-3205-6864
OPEN 18:30 START 19:30
1500円(飲食別)
※人生相談持参の方は300円引き!
入場時に相談を書いた紙を受付にお渡し下さい(ペンネーム可)
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以下 詳細



 どうだっ! 暴動大宴会の次は、「革命家ナイト」! 革命家による人生相談! 革命家による人生指南! 革命家による悩み相談! しかも出演するのは本当に正真正銘の革命家!
 こんな素晴らしい宴がかつてこの国で繰り広げられたことがあったでしょうか・・・。しかも出演者のうち、私と土屋監督と木村さん以外は全員六十代! 野に放ってはいけない人たちがこの日は勢ぞろいで文字どおり野放しにされます。ああ、どんなイベントになるか、考えただけで興奮します。
 と、ここで出演される革命家の皆さんをよく知らないという方々に説明を。
 まず塩見孝也さん。塩見さんは言わずと知れた元赤軍派議長。北朝鮮にハイジャックして飛び立ったよど号グループとか、世界中でハイジャックとか空港襲撃とかいろんな事件を起こしまくった日本赤軍とか、あさま山荘に立てこもって銃撃戦したり仲間を殺したりした連合赤軍とか、まぁそんな人達のトップだったという方です。本気で共産主義革命を起こそうとして、武装闘争の最中に逮捕され、獄中二十年。オウムにさえ適用されなかった破防法を「個人で」適用されたという珍しい方です。塩見さんの革命が成功していたら、今頃この国は日本民主主義人民共和国で塩見さんは主席になっていたという雲の上の方ですが、そんな塩見さんがこの日は地上に下りてきてくれます。っていうかこの前のイベントにも特別ゲストとして出演してくれたんですが・・・。とにかく、塩見さんとはもう十年近い付き合いで、一緒に北朝鮮に行ったりイラクに行ったりしていて、もちろん今も塩見さんは「世界同時革命」の夢を捨ててはいません。そんな塩見さんの愛猫の名前は「ぶーにゃん」。ヤキイモが好きだそうです。
 そしてお次は鈴木邦男さん。鈴木邦男さんは「日本を代表する民族派活動家」であり、
現在新右翼団体・一水会の顧問をされています。三島由紀夫とともに自決した森田必勝氏と友人であり、事件に衝撃を受けて一水会を設立。一水会には作家であり私の師匠、故・見沢知廉さんも所属されていたことは有名です。そんな怖そうな経歴の鈴木さんですが、御本人はテレビ東京でこの前やっていた「ゆるキャラ選手権」で今すぐ優勝できそうな、癒し系の六十代。愛猫の名前は「シロ」。
 そして同じく一水会の木村三浩さん。木村さんは現在一水会の代表をつとめています。湾岸戦争の頃から反米を掲げてイラクを応援し、義勇軍をイラクに送り込もうとしたり様々な活動をされてきました。私の二度にわたるイラク行きは、すべと木村さんのイラクにおける地位の賜物です。イラクでは「国会議員になってほしい」とまで言われていて、アラブ各国や世界中の活動家、政党の方々と親しい木村さんの詳しい経歴は謎に包まれています。なので、今度のイベントでいろいろ聞き出そうと思っています。
 そして平野悠さん。元革命運動家で日本のロックの聖地・ロフトの創始者です。81年にはビジネスになったロックに失望し海外放浪。84カ国を制覇。旅人であり、バックパッカーです。一緒にイラクにも行きました。そんな平野さんの愛猫の名前は「米子」。
 土屋豊さんは、映画監督であり、ビデオアクティビストです。私が主人公のドキュメンタリー「新しい神様」や劇映画「PEEP"TV"SHOW」はまったくのインディペンデントでありながら、世界各国の映画祭で賞を受賞するなど革命的なやり方で映画を撮っています。また、ビデオアクティビストでもあり、韓国やニューヨーク、アムステルダムなどのアクティビストたちと連携し、メディア運動も繰り広げています。
 
 と、そんな素敵な革命家の方々の簡単な紹介をさせて頂きました(ちなみに私の愛猫の名前は「ぱぴ」ちゃんと「つくし」ちゃんです)。
 この方たちが、「すごい生き方」やここの人生相談でも取り上げられたような若者の生きづらさに関する相談に、どんな切り口で答えてくれるのか、本当に本当に楽しみです。
 常々、私も個人の生きづらさには社会の構造的な問題が含まれていることも多く、積極的に問題を社会のせいにすれば大分道は開かれるはず、と思っているので、いろんな話ができればと思っています。
 よく私のもとにも、いくつ会社を受けても就職できなくて自分がダメだと思い込み、自殺したい、なんて声が寄せられます。が、そのたびに、悪いのはお前ではなくただ単に日本経済の状況や、企業が非正規雇用で都合よく人を切り捨てるやり方をして利益を上げていることや、それを放置している社会と呼ばれるものが思いきり悪いのだと声を大にして言いたいです。ですが、それを「本人にやる気がない」とか「甘えている」とか、そんな言葉で問題を摺り替えられていることが非常に腹立たしく思っているので、そんな話もできればと思っています。
 もちろんそれだけではなく、リストカットからオーバードーズから摂食障害からイジメから、何から何まで革命家たちがあなたの悩みを明解な言葉でぶった斬り、革命へと導いてくれるでしょう。悪いのはアメリカか? 戦後日本か? 資本主義か? それともフリーメーソン?
 そんな、革命の宴にぜひお越し下さい。
 ちなみに当日来られないけど革命家にぜひ相談したい、という方は、ここの相談メールから私に相談を送って下さい。メールに「革命家に相談希望」と明記するのを忘れずに。
 とにかく、みなさん揃いも揃って「すごい生き方」で、こんな珍しい方々が一堂に会することはもうないと思うので、ぜひ革命家たちの「生き様」から元気をいっぱいもらって下さいっ!

http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/index.php?e=31
言葉はいつも残酷だった
ク・ナウカの演劇を入場料だけでみられるという喜び。それでも一人5000円


僕の書いた文章を内海は中傷文と受け取ったのであり,それゆえに憤怒したのだという結論に,二日かけてたどり着く。

『"駄目"なものについては語らない方が得策である』


という結論というか,無駄な軋轢をさけて上手く生きていくための知恵として,教訓として心にとどめていきたい。駄目なものについては語らない,二流三流は無視する,そして見ない振り,語らないふり,語れないふり。批判は一円も生むことはない。黙することの重要性。意見の相違は時に死に直結する。相手に合わせることの重要性,おだてることの重要性,自分の意見を言わない重要性,"社会"で生き延びるための,生き残るために必要なこと。


『言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ,でも僕は信じている 言葉の力を』


僕も言葉の力を信じていた。そして過剰に信じすぎていた。時に無力で,冷酷で,諸刃の剣であることを忘れていた。誠意を込めて書けば批判的な評論も何とか許されると本気で信じていた。それ故に一万字の文章を,二五〇〇文字に5日かけて圧縮し,言葉を選び,直前まで修正を加えて(ボロボロになりながら)提出したのだ。だが拒絶された。酷いやり方で。


内海は自分の芸術性や作品に過剰な評価を与えていた。
そして社会から正当に評価されないことの不満を愚痴っていた。
「俺の絵は死んだ後に評価される,ゴッホのように」
「何故俺が美大の教授になれないのか」
と。
はじめはギャグだと思っていたが,どうやら真面目に言っているらしいことに気が付き僕は不信感を強めた。
冷静に考えれば,美術界から評価されないこと=自分は二流の画家である,という客観的評価として受け取れるのだろうが,それを認めたくない(認められない)人たちがいる。
「東大・早稲田・慶応の教授が俺の個展を見に来た」
彼はそう嬉々として語った。まるでそれが自分の作品の価値を高めているかのようなそぶりで。よかったね。友達が多くて。
権力権力権力権力
美術と芸術につきまとう金とコネと権力の実態。
東大・早稲田・慶応の教授(非美術系)が個展を見に来たことと内海の芸術性は無縁であるはずだ。それを権力に置き換える態度。やはりどうしても反発してしまう。

僕はそのような人に対して,本当のことを言ってしまった。あるいは見当違いだったかもしれない。ただ,その手の客観性を内海は自己保身の為にどうしても許すことが出来なかったのだろう。そして僕は言葉によって拒絶された。

言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ

ほんとうにその通り。そして僕は言葉の力を信じなくなった。
例え知り得ていることでも黙しなければならないこと,それを世間は"社会性"と呼ぶらしい
今後の予定
5月17日 萌え萌え同人誌ナイト ←微妙
5月20日 加藤系のイベント
5月24日 オタク イズ デッド
6月1日 新宿ゾンビ1周忌イベント ←呼ばれれば行く
6月2日 A.P.B 狂人教育 演劇

演劇を死ぬほど見たいのだけれど情報が手に入らないのが痛い。
金がないのはもっと痛い。

小田急沿いに住めば良かったと今更ながら後悔
内海のコネクションがほぼ使えなくなったので,自分で金を払って文化をあさるしか残された道はない。ワークショップの情報なんてどこにもないよ

http://www.ne.jp/asahi/kurotent/tokyo/06kortes/06kortes.html
黒テントの演劇は気が付けば終わっていた。


あ・・・あ・・・あ・・・き
アキちゃん
初めて女性を"ちゃん"付けで呼んだ。今まではほとんど"さん"づけ。
ものすごくぎこちなかったと思うけど,いい娘で助かった。

瓦カフェで加藤DJを味わう。

ワインを1ボトル空ける。というよりみんなで飲むために予め空けておく。ああ,なんて俺は気が利くんだろう。一時間後に加藤姉弟到着。みんなでグビグビワインを飲む。そして音楽とおしゃべりを楽しむ。ところが,今までみんなでワイワイグビグビ飲んでいたのに,空気の読めない僕がワインの値段をボソッと言ってしまったが為に,手が休まるというハプニング発生。ああ馬鹿だなぁ。本当に僕は空気が読めない。そして気が利かない。リハビリは始まったばかりだけれど,そんなことは言い訳にはならない。ワイン1ボトルはもちろん僕のおごりだけれど,それ故に場の空気を汚すことに。ああ,本当に僕は人を不快にさせるのが得意でいらっしゃるなぁ。日本語おかしいよ。
加藤君が結構よっていて,おしゃべりになっている。僕が色々社会に対する,内海に対する愚痴を言うと,またしても場が白ける。あああああああああ

ひどいよ。僕
何の才能もない男!そう思ってるんだろう, わかってる,わかってるんだ,ちゃんと分かってる!!
マーシャ「暑い・・夜は嵐か・・晴天か」

ソーリン「こんな夜は,酒を浴びて早くねちまった方がいい。そうしないと馬鹿気た感慨にふけることになる。ごめんだね,そんなのは二十歳の頃に全部置いてきた。夢に溢れていたあのころにね。ところがこんな夜は,うずくことがあるんだよ,古傷が。あの女にいたぶられて出来た背中の古傷が」

マーシャ「私さ,貧乏だけど,夢があるの,私を愛してくれる人と,一つになって,子どもを2人ぐらいって,貧乏ながらも幸せに暮らしていくの,どう,すてきでしょ?そんなことを考えちゃうな。そんな夜。」

ソーリン「私がこんな夜に考えることは・・・そうだなぁ。やはり自分の未来か。10年後,あるいは20年後の自分の後ろ姿。どれだけの不幸を排除し,どれだけの幸せをため込んでいることか,それだけが気になる。今までの不幸な夜と,肥大した夢をばっさり切り捨てて,ひたすら現実的にいきていくのさ。ため込む,いい言葉だ。そのためには今が踏ん張り時なんだ。そんな夜」

マーシャ「ハハ,アナタって屁理屈かお金の話しかしないのね。アナタの口振りだと,この世で最大の不幸はお金のないことみたい」

ソーリン「その通りじゃないか。世の中で最大級の不幸はお金のないことさ。世の中に溢れる不幸の生き霊は,全部金のない奴から生まれてくるんだ。それが大半さ。キミもその目で見たことがあるだろう,そして聞いたことがあるだろう,金のない奴の断末魔をね。高架橋の下に行けばいつでも聞ける,あの死に損ない,昼間になると「パンのお恵みを」ってね,そういいながら,町中を歩き回るのさ。そうして,やっとこさ手に入れた1ルーブリを,なんと嗅ぎタバコにつかっちまう。最低の生き物さ,金のない奴らは」

マーシャ「私に言わせれば,ボロをまとって「パンのお恵みを」って歩き回ることなんて,なんでもない。本当に辛いのは,こ・・・・・・やめた,何でもないわ。どうせ貴方には分からない」

ソーリン「そうやって自分を慰めてればいい。10年後,未来を肌で感じられるのは,ため込めるやつだけさ。夢!?そんなものは想像力の無い奴に押しつけておけばいい。空ばかり見ていても,金は落ちてこない。賢明な奴は,地面を這いつくばって何処かに落ちているかもしれない10ルーブリを拾い上げることに全力を尽くす。それこそ一日中ね。たった10ルーブリのために。それが生きるって事だ。昔から,ずっとそうだった。お前の親父も,じいさんも,そうやって生きてきたはずだ。そしてその為には今が肝心なんだ。想像力,今私が求めているものは,たったそれだけ。世の中が求めているのはそういう種類の力だってこと」

マーシャ「うそ。乞食にだって幸せな人はいる」

ソーリン「たった1ルーブリで買えるだけの嗅ぎタバコでも,確かに幸せは与えてくれるかもしれない。たった5分ぽっちの幸せだけどなぁ」

マーシャ「そういう言い方は止めて,わたし,本気なんだから,どうしても駄目になったら,田舎に帰って畑でも耕す。でもね,女にもてない金持ちより,女にもてる一文無しになりたい,そんな生き方もアリだと思うの」

ソーリン「かってにもてていてくればいいさ。ところが,自分が2枚目だと思っていたら,実は3枚目4枚目だったなんてことは,いくらでもあることだ。そういう馬鹿がいるから喜劇はうまれるんだよ。そうやって世の中は回る。キミもそんな喜劇役者になりたいのか?ならいいだろう,思う存分その喜劇的な人生を満喫してくれたまえ。今の私にいえることは,それだけかな」
もののけ姫小論
『死ねよやーっ!』
「どういう意味だ!?」
『死ねってことよぉー!!』


1997年,宮崎駿は少年少女に『生きろ』と語りかけた。
富野御大はそれに対する形で『頼まれなくても、生きてやる』とブレンパワードのキャッチで語りかけた。
もののけ姫は,僕の心に何も残さなかったが,しかしブレンは未だに強烈な印象として焼き付いている。
この差は何か。あるいは当時から10年近く経て生じた2006年に於ける両者の差とは。

「本当の覚悟が出来ていれば、親殺しだって出来る。キレてやるんじゃない、逆上しなくたって正義の確信があり、信念を通そうという確固たるものがあれば、出来るもんだッ」
という台詞に当時の僕は夢中になった。心がすさぶと未だに口ずさんだりするのだから,やはり御大からは相当影響を受けていると言えるだろう。(ブレンの内容はほとんど覚えていない)
結局の所,映像で視聴者に語りかける作品は,映像をシークエンスとして見返さなければ,あるいは映像ごと思い起こさなければテーマに接近できないのに対して,率直に文字・言葉で全てを語ろうとするブレンのような作品は,(確かに語られる場合,細切れにされてしまいがちだけれども),言葉が生きているために長年に渡り人の心に残るのだろう。あるいは名文・美文が物語を構成していると言っても良いと思う。
宮崎は映像に多くを頼りすぎているのだ。それ故に視聴後に心に何も残らない。映像を再現するというのは難しいと言うこと。視覚的に楽しいと言うことは,もしかしたら刹那的なことなのかもしれない。
もののけ姫も10年たってみて,結局皆の心に残り続けたものは音楽と血しぶき映像だけだった。彼の作品ほぼ全てがボーイミーツガールものであるのに,スクリプトが徹底的に弱い。それがもののけ以降のジブリ作品の低調につながっていると僕は考えている。

「死ねよやーーーーー!!!!!」

アニメ作画覚え書き
もののけ姫

金田伊功・・・アシタカ対ジコ坊 

大塚伸治・・・サンとエボシの決闘シーン

吉田健一・・・腕チョンパ

笹木信作・・・冒頭のタタリ神とアシタカの戦闘シーン

キルビル原画
YASUNORI MIYAZAWA
MITSUO ISO
HIDEKI TAKAHASI
EIJI ISIMOTO
SUSIO
MAEDA MAHIRO
SEIICHI SASAJIMA
NAOYUKI ONDA
SHINYA OHERA

すしお・・回し蹴り

http://www.youtube.com/watch?v=iSgg5_c1S2E&search=KILL%20BILL
コミュニスト達のファンキーナイト
渋谷に行って来た。相変わらず内輪乗りなのは別に構わないと思ったが,k氏が「なんか付き合いで来てるんだよね,ここで回す気は無いよ,人間関係めんどくさいし」と言い放ったことにはやや驚いた。なるほどね,と一応頷いておいたけど,コミュニスト(コミュニケーション能力保持者)の悩みは正直僕には良く理解できなかった。そしてそういう煩雑な人間関係にややあこがれる。
10時きっかりに入店し,イベントが終了した5時8分までほとんど休み無しでjazzとラテンミュージックを強制的に聞かされ続けたわけだけど(まさにルーチンジャズ),「なんでjazzとR&Bしか流さないんだろうね」なんて陰口を叩きながら,いつも通りみんなで絵を描いてやり過ごす。拡張されたベースとコントラバスの重みを,ぐちゃぐちゃになった胃の内容物で確認しながら,ジャズと黒人解放運動やブラックパンサー団の関係,ひいてはデトロイトテクノ・渋谷系への歴史の変遷などの講義を受けてまた一つ賢くなった気分。
片手では収まらないであろうオッパイを保有する女の子が,男の子に媚びを売りながらピョンピョンピョンピョン跳ね回っていたのが非常にウザかった。ブラジャーからあふれ出る肉という現実に,僕はクラクラした。これは悪夢。ヤン・シュバンクマイエルかラス・メイヤーの描く白昼夢。その女性的女の子と肉体的コミュニケーションを取ろうと必死になる飢えた男共にまたしてもクラクラ。精子が具体化する瞬間はいつ見ても気持ちが悪い。それは多分そこに僕の持たないフォーヴ(ィズム)と欲求があるから。明るくみえるように振る舞うことに絶対的価値が存在する現実に,観念的で内向的な僕は打ちひしがれれるのだ。それは僕が男でありながら女性的なものに憧れているという問題をさしおいて,存在してしまう。乳がでかく,行動・仕草が女性的であり,よく笑い,良く喋り,語彙が少ないあの女には絶対に勝てないと云う現実を突きつけられることに対し,何の抵抗手段を持たないのだから当たり前の話なのだろう。せめて,僕も混じってボディタッチを試みる,或いはボディタッチをしたいなぁと思うぐらいの僅かな男性的気概があれば何とか乗り切れたのかもしれないけど,こういう女性性に対し僕が出来ることはやはり傍観しかなく,それ以上の思惑というか願望がわいてこないのが悲しい。強烈な男性性に対し僕が傍観するしかないのと同じ事。それどころか,そういう女性性を強調した女性に会うと不快感・嫌悪感・反発心・嫉妬・吐き気などを覚えてしまうから不思議だ。オッパイだけじゃなくて,顔の綺麗な女性とかも。というか顔の綺麗な女の子は特にそう。近くにいるだけでも駄目。強烈に嫉妬してしまう。男が女に。オシャレなだけなら大丈夫。意味分かんない。それとも男はみんなそうなのだろうかと考えてみることもあるけれど,みんな立派に恋をしていたり,可愛い女の子に素直に欲情できているみたいだし,そんなこともないのだろう。22歳にもなってジェンダーに悩む自分。知人・友人・彼氏が欲しいとベットの中で考えながら実物の男性を観ると幻滅し,彼女が欲しい,セックスをしたいなぁとベットの中で妄想しながら実物の女性と接触すると,これまた幻滅してしまう。自分のジェンダーがロストする瞬間。彼氏(男)であっても彼女(女)の代用にはなる,そう信じてしまう瞬間でもある。
男(の子)の良さは結構知っているが,女(の子)の良さはほとんど知らない,ただそれだけのことなのかもしれない。女の良さなんてマンコだけだよと主張できてしまう自分が悲しい。
内海氏に初めてあったときに,「キミはゲイなのかな?」と聞かれたことを思い出す。「ゲイにもバイにもノンケにもなれない人間です」と腹の中では返答しながら,「違うと思います,でも自信はありません」と答えてしまった。もしかしたら誰かが表現したように中性という言葉が一番僕を表すに適当なのかもしれない。初めて会った人間にキミはゲイなのか?と聞く人間もどうかしていると思うけれど。
いずれにせよ,僕をこれだけ実存的に悩ませるほど彼女のオッパイと仕草は破壊力があったということ。馬鹿だな俺。こういう悩みも含めてのリハビリ生活。長年に渡るヒキコモリ生活がジェンダーを不確定なものにし,ロストさせたのはほぼ間違いないのだから。早く生身の女性に欲情できる人間になりたいものです。

400円のクレヨンセットをボキボキに折られたのも思い出として処理しておこう。もちろん悲しい方の。
あとは国道のデニーズの話とか,DOVEの話とか,ゴディバの話とか,デブラージの話とか。そしてタリーズコーヒーと大戸屋とヤクザと下北沢。もしくは菊と刀とグラフィティとイラストレイターと筒美京平と美学校。
ジンを飲まされてふらつくK氏と,クレヨンをボキボキにされてへこむ僕の後ろ姿が対照的でもあり,これほど具体的な夜は久しぶりでもあった。
僕が此処にいると証明するためにはやはり言葉が必要なんだと,当たり前のことを再確認して,僕は渋谷を後にした。
日本・現代・芸術
今後問われる(問うべき)難問。

・現代美術と芸術の差とは?
・現代美術と美術の差とは?
・芸術と美術の差とは?

僕は"現代美術"と"芸術"という言葉をほぼ同義語として使用してきたが,世間一般ではどうもそういう使い方はしないらしい。芸術という表現(概念)があまりにも広義であるため,誤解をさけるために芸術という表現を使用せず,そのような作品を指す場合"現代美術"という言葉を採用するのが主らしい。しかし,(僕が水戸生まれのためかもしれないが),現代美術と名うつ作品展で,所謂美術(ドローイング,ペインティング)のみで制作された作品を観た機会って,ほとんど無い気がするわけで。リヒターやキーファーも,もう過去の人だし,日本では,できやよいや会田誠などが絵画に固執してはいるが,はやり"絵"のみで作品を制作する人を見る機会は,もはやほとんど無くなったといっても良いのではないだろうか。(実際には膨大な数の"そのような"美術家がいるが,評価されることがなくなった)
80年代に絵画は死んだといわれ,それから約20年。"現代美術"という概念がどんどんあやふやになっていくのを僕らは目の当たりにしていく。

そんな時代に於いて,絵画に拘る内海信彦の絵に対してレスポンスを書かなければいけない。抽象絵画なんて,(失礼な表現だが),そんなものに今価値が生まれる分けないじゃないか。あるとしたら"交換価値"としての美術。社会的に認められた美をダイレクトに貨幣に置き換えるやり方。悪いけど,そんなもの見たくない。生活のための美術なんて見たくないよ。絵の具5グラムあたり1000円みたいな。そういう"ゲージツ"。
ぽか~ん
社会は不条理の固まりであるなんて改まって言うつもりはさらさら無いけど,何故いつもいつも真面目な人間が,誠実な人間が損をするのか。グロスの不誠実さにもめげず,平田さんにはがんばって欲しいものである。マジポカ6話Aパート絶対観ますよ。ヒラタさん!
http://diary2.cgiboy.com/1/hirata/index.cgi?y=2006&m=5
み~んな仲良く暮らしてる,さあ歌いましょう
今日は何とか予備校に行く。いくだけでも一苦労だ。

午前中の授業は全部サボって午後からの参戦。
なんだか教師がユダヤの歴史について話している。
むにゃむにゃ
やる気が起きない。
むにゃむにゃ

ユダヤと聞くといつもあの歌が脳裏をよぎる
小学校や幼稚園(保育園で)強制的に歌わされた『アブラハムの子』。

アブラハムには 7人の子
一人はのっぽで あとはちび
みんな仲よく 暮らしてる
さあ おどりましょう
右手(右手)
左手(左手)
右足(右足)
左足(左足)
あたま(あたま)
おしり(おしり)
回って(回って)
おしまい!!!
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/aburahamuno.html

当時,何も知らない愚かな保育園児であった僕は,お迎えが来るのがいつも6時過ぎだったために(両親が共働きのため),これまた哀れな園児達と一緒に,残業という形で,良くこの歌を歌わさせられていた。無邪気に。そして楽しく。
だが,今考えれば,なんて残酷な曲なのかと,そう思わざるをえない。
つまり無自覚は罪なのである。

諸悪の根元であるアブラハム(アブラヒム)。
妾の子であるイシュマエルからはアラブ,ひいてはイスラム教が生まれ,アブラハムの実の子であるイサクからは,ユダヤ人とユダヤ教が生まれることになった。そしてそのユダヤ教にNOを突きつけたジーザス・クライエストからキリスト教が始まる。

みーんななかよく暮らしてる。

あははっはは


哲学的すぎて良くわかんないや

キリスト教(ピューリタン)国家であるアメリカが一人だけノッポで,あとはみんなチビ。チビ同士いざこざや,殺し合いを楽しみながらみんな愉快に生きている。ああなんて素晴らしく残酷な歌なのかしら。東京事変なんて目じゃないぜ。
むにゃむにゃ
テレビを付ければもう梅雨だとかいっている。
ああ金持ちになりたい,と嘆く青年。クタクタになった,とび職の服を着ている。
ちょーむかつくとしか言わない青年の彼女。

今日も一度も部屋を出なかった。
これでは水戸にいた頃と同じではないかと自分を叱咤して,こんな時は水戸ではどうしていたのかを少しだけ考えてみる。
そうだ駅南までコーヒーでも飲みに行こう。そしてたばこを吸って,本でも読もう。
いつの間にか小雨が降り出していて,いつものように僕の愛車だけが激しくクラッシュしている。後輪の泥よけが変形していた。俺に似やがってと呟いてから,テッシュで丁寧にふいてやる。全身泥まみれ。愛らしい奴だ。雨にも負けず,風にも負けず,強く生き抜いて欲しい。現在名前募集中。

11時まで営業しているミスドで,インスタントコーヒーを飲む。260円でこの味は懲役10年白州ものだけれど,お代わりが出来るのが唯一の救い。
娘の教育に勢(性)力を注ぎ込むまだ十二分に若い母親と,その愛情をタルそうに教授する娘の会話をずっと盗み聞き。
「お母さん,わたしだってたまには息抜きして,ぱぁーと遊びたいものなのよ」
そう呟く彼女は鶴亀算に苦戦中。そうか,不幸の連鎖は鶴亀算から始まるんだね。
後ろの席で達観した表情でタバコをくるらしているのが僕だ。中学に入ってXとYを習えば存在価値の無くなる鶴亀算なんかよりも,友達の作り方を教えて欲しかった。共通項のない人間とコミュニケーションが全く取れない悲劇を鶴亀算のせいにしながら,ハイライトに火を付ける。あれ,これで何本目だっけ?

必死に化粧を直す女子高生と,無口な背の高い彼氏。三分に一回くらい彼氏の目を見て何かを確認する彼女。長い沈黙。こっちまで気まずくなる。
ほんとに女は自分勝手だな。つまらないつまらないと愚痴をこぼしたり,何か面白いことをしろ(したい)と騒いでみたり,かと思ったら急に無口になって化粧を直してみたり,三日に一度だけでもいいから,気の利いたことをいって俺を笑わせて見せろよ。あっ冗談冗談,キミの笑顔と綺麗な御御足を観ているだけで十分楽しいよ。
そんな青年の愚痴を妄想し原稿用紙に書いてみたが破って丸める。思い出してブログに書き殴る。果たして,全く口を開かないこんな甲斐性なしの彼氏を持ってこの女は楽しいのだろうか。果たして,全く口を開かないこんな甲斐性なしの彼女を持ってこの男は楽しいのだろうか。決めつけてごめんね,そこの背の高い男の子と髪の綺麗な女の子。本に目を落とせば,『他人に伝える何かがある限り,私は確実に存在している』なんてことが書いてある。真逆の二人だね。そしてその空間。そこにいればそれだけで満足なんて,つまんない恋愛じゃないか。つまんない関係だよ,きっと。世の中的にはそうでもないらしいけれど,それが信じられない。高校生なんだからもう少し冒険しろよ,ごめん,冒険が出来なかった僕のいえることではないね。誰に謝ってるんだか。
シガレットケースの中のタバコを全部吸ってしまったので,仕方がなく帰宅することにする。明日もこんな生活をしていたらヤだな。自転車をこぎながら,もしかして自覚は本当に意味がないのかもしれないと,ふと思ってしまった。

情熱大陸で唐組特集
最初に断っておくと劇団唐組の演劇は意味不明である。ストーリーが存在しない。
70年代で歩みを止めた演劇。悪くはない。むしろ僕個人は大好きである,そういう大衆性を拒絶した演劇を前に僕らはため息を漏らすのである。
あるひとは,「つまんねー」
そしてある人は影響を受けてしまって観劇にはまったり,戯曲もどきを書いたりする。
そんな唐組の演劇の中でもっとも目立っているのが稲荷卓央であろう。
http://homepage3.nifty.com/shibai/page007.html
ACM(アクト シアター 水戸)の演劇にも結構出演歴がある。
上手いと言うより,格好いい。彼が人生を嘆く瞬間に,僕らは稲荷に恋をしてしまう。赤テントを出た後に僕らがついつい稲荷のまねをしてしまうのは,稲荷の表情を模倣してしまうのは,彼の演技力の証明でもある。
演劇と虚構が紙一重であると同じくして,現実と演劇は紙一重である。
役者のパワーだけで押し切る。それが唐の演劇。それ故に唐の演劇では役者が引き立つ。役者が生きる。
魔封波!!
今日はトウキョウに来て初めて一円も使わないですんだ日であった。理由は5時に起きたから。そして初めてトウキョウで,トウキョウの水で米を炊いたから。呼んで字のごとく自炊。ボクの住んでいる寮は日曜祝日は飯が出ない。なので電子ジャーと自炊は必須だ。早速米を炊いてみる。ん~なんかまずいな。人工的な味がする。米は農家から直接買ってきた茨城産の結構いい物を使用している(実家から5合ほど盗んできた)。米は悪くない。やっぱ水か?釜を持っていない人はさておき,余り水が美味しそうではない杉並区在住のDJ加藤氏はどうやって米を炊いているのか。
次はミネラルウォーターを使って炊いてみたいと思う。お金かかるなぁ・・・
悔しいので部屋を掃除して,丹念に掃除機をかけ,一週間ため込んだ汚れ物を洗濯機に放り込み,酒をしこたま飲んで,スクラン2の時間まで宿題の文章を書いて人生を謳歌する。
冷蔵庫にあるモノは,キムチと冷凍ハンバーグと納豆と豆腐と牛乳とモヤシとタコわさびのみ。大豆まみれの生活。もう少し冷凍食品を買ってこよう。そのうちパスタ鍋でも買ってきてパスタをゆでよう。お金かかるなぁ
○×したい
初恋や,忍ぶ恋(思い)に意味があるか,ないか。
難しい問題
いつまでたってもマルキスト
クレイモア対人地雷もC4プラスチック爆弾も,信管がなければただの粘土の固まり。行動だってなんだって自覚や意識という信管があって,初めて体系的な行動として成立しうるし,意味をなす。行動という行為(結果)がすべてにもまして"メイン"の存在であって,それに至る経緯やそれ以前の事象には比重を置かないという態度や,行為(結果)まで至らなければ意味がないという意見に同意できない。
僕たちはレーニンやマルクスみたいに社会を変革するために生きている訳ではないのだから。それ故に,実践が伴わなければ意味がないなんて理屈は,それこそナンセンスにうつるわけ。
他者や社会に影響を及ぼす事こそが"行為"や"結果"であるなんて,時代錯誤も甚だしく感じるわけ。
籠の中の鳥がストレスで死ぬ事なんて幾らでもあるし,現にボクはニートを自覚するだけで白髪の青年になってしまった。
誰かさんが言ったように,そういう"個人的な体験"の積み重ねが世界を構築している。社会を個人の手で変えるのはほぼ不可能に近いが,自分を変えることはそれほど困難なことではない。そして,個々を個人として具体的に直観するためには絶対に自覚が必要になる。よって自覚は重要なのだ。たとえ実践が伴わなくともね。

フランクリィな表現をすると,客観的にみて"意味がな"ければ意味がないという態度がボクは気に入らない。何度も言うが世界を革命するために僕たちが存在するわけではない。幅跳びを実際にとんだら意味があって,幅跳びを飛びたいと願う(意識する)だけなら意味がないなんて,そんなの独善的すぎる。キミの言う"意味"ってのはいつもそうだけど"社会的""客観的"に意味があるかどうかにこだわりすぎているんだよね。変革や行動なんて,大抵は個人的で非常に小さいモノであり,社会性や公共性や客観的評価が伴なわなくたって意味のあることなんて幾らでもある。それこそ,妄想して自己満足するだけだって本人にとっては意味のあることかもしれないのだから。独我論的に生きていこう。私だけが現実であり,私こそが唯一の私なのだ。それ故に自覚は重要なのであり,認識はそれだけで意味を持つ。そういう時代。そういう時代性。


思弁哲学なんて難しい言葉を出すまでもなく,"知ること""願うこと"はそれだけで意味があるとボクは主張する。ギリシャ哲学的に。ロマンチックに。


第一,自覚という発破が何も起こさない(何も生まない)とキミは声高に言うけれど,人間がそんなに単純な有機体であるわけがなくて,意識(認識)というものが人間の行動,身体に様々な影響を与えるというのは,行動学や心理学の専門書を開くまでもなく明らかなことじゃないのか?
逆に自覚が何も生まないことを証明することは不可能に近い。

実際に具体的な何かを生み出している奴がそんなにいないことはキミだって知っているだろう。そして,生み出してみたいと思う奴すら少ないことだって知っているだろう。たとえ自覚する(意識する)"だけ"でも十分レアケースである事例は幾らでもあるし,それが意味がないことなんて断定する権利は誰にもない。そして余りにも無責任すぎる。
自覚は意味がある
『自覚は意味がない』なんて,まだそんなナンセンスなことを言い続け信じ続けていてるのか,キミは。
自分たちが資本家に搾取されていると農民が自覚したからこそ一揆や革命や反乱が起き,労働組合が生まれ,自分にはコンプレックスがあると強烈に自覚したからこそ,数多くの詩や絵画や音楽が生まれ,そうやって歴史が紡がれてきたんだよ。
自覚により危機感や向上心,反発心が生まれることは幾らでもあるし,あるいは人を堕落させることだって十分にある。
自分は次男だから将来金に困るだろうと自覚したからこそ,キミは就職活動に時間とカロリーを消費し,ボクはそれが自覚できなかった為に,ひばりヶ丘で親の金で酒を飲んでるんだよ。
そういう可能性に溢れた行為(意識)に対して,『意味がない』の一言で片づけてしまう思考が未だに理解できない。どうしてそういう結論を導き出せるのか。自覚が意味がないなんてことは絶対にないし,もう何回も否定してきている。むしろ自覚しないことの方がよっぽど不可能生に溢れているのはニートを観るまでもなく明らかだ。

気が付くのが遅すぎた,という気づき発見は,自覚ではなく,ただの後悔。
それも,自覚できなかった自分に対する後悔。情けない話し。やっぱり人間が生きていくためには自覚は必要なんだよという結論。絶対に。だってそうやって歴史が紡がれてきたんだから。
長濱博史については明後日にでも語りたい
http://www.youtube.com/watch?v=bYx2XFxuCeQ&search=mushishi
これを造っている奴と,
http://www.youtube.com/watch?v=xgWyCz1qCW4&search=sister%20princess%E3%80%80repure%E3%80%8012
これを造っている奴が同じであると気が付くところから,アニヲタライフは始まる。
シスタープリンセスも虫師も同じ奴らが造っているという事実に気が付くかどうか,そこから目をそらさないかどうか。そこからアニメの視聴は始まる。
1000の1の確率。気が付いてしまった以上,今後とも大切にしていきたい。

ちなみに長濱は馬越と共にアフタヌーンに漫画を連載している。わずか2ぺージだが連載には変わりがない。長濱は言うまでもなく,馬越嘉彦は今,日本アニメ界に於いて10本の指に入る天才アニメーター。その天才がボロボロの赤茶けた洋服をまとっているのをこの間,見かけた。しょうもないプロデューサー(リーマン)共が目黒にマンションを現生で買ってBMWを乗り回す時代に,肝心の天才がボロをまとう現実。髪の毛なんて半年は切ってない。リーマンは奴隷なんかじゃないよ!!リーマンの奴隷になってる奴だっているんだ!!!!糞!!!!!!!!!なにが奴隷だ,なにが社畜だ。金がもらえるだけ,老後の保障や社会保障があるだけ,お前らは恵まれてるんだよ。糞ぉーーー。
酔ってます。心も体も。
武蔵野サバイバル
暇で暇で死にそうなので吉祥寺に行くことにする。バスは時間がかかるし,電車は金がかかる。徒歩は無理なので,自転車で向かうことにする。推定所要時間は40分。根拠無し。地図などで目的地と順路を確認するほどボクは落ちぶれてはいないので,こんな時のために100円ショップで買っておいた方位磁針を片手にサドルにチンコを乗せ,いざ出発。話は変わるが,ボクは生まれてこのかた,(恥ずかしい話ではあるが)ママチャリというものに乗ったことがなかった。全く乗ったことが無いというわけでもないのだけれど,乗ったことがないと断言してもこの祭過言でもなんでもないだろう。なぜならば,寮に住み着いて,初めてママチャリにまたがったときにまっすぐ進む事すら出来なかったのだから。自分でもビックリ。右にふらふら,左にふらふら,何度か轢かれそうにもなった。なんというか,タイヤが余りにも小さくて,そのうえサドルの位置が低すぎるためにペダルをこぐのが非常に怖かったのを覚えている。おまけにスピードも出ないし,安定性も悪い。加速は最悪で,こいでもこいでもスピードが上がらない。それどころか,息が上がってくる始末。どうして日本人はこんな奇抜な乗り物に平気で乗れるのか。そう,sou,ボクは生粋のMTB使い。生まれてこの方,MTBにしかお尻を預けたことのないMTB乗り。サドルを腰の高さまで上げる,あの独特の前傾姿勢でなければペダルがこげない屁たれ野郎なのだ。スピードが出てきたときに,MTBのタイヤがアスファルトに食らいつく『ヴヴゥゥゥゥゥ』という鳴き声が最高に好きだった。あの加速力,重量感,安定性,乗り心地,そして前傾姿勢,全部好きでたまらなかったのに,ママチャリにはそれらが全部無い!乗っていてちっとも楽しくない!!うわぁーーー。
そんな血統書付きのママチャリにお尻を預けること約30分。青梅街道でトラブル発生。ドコヲ南下スレバイイノデショウカ。悩んでも分かるはずなどなく。とりあえずその辺を走っている自転車に付いていくことにする。何度か迷いながらも無事練馬区を抜け,舞台は武蔵野市へ。成蹊通りを東に向かってひたすら進む。付いた場所は吉祥寺北町・・・・北?ちょっと待ってくれ,駅ハドコニアルンデスカ?ここからが大変だった。○×寺町,御殿山○×丁,八幡町,気が付いたら西荻窪,行き過ぎたと思い,引き返したら,三鷹。おーい,どこだ,吉祥寺。すでに2時間は経過していただろう,ようやく観たことのある東急吉祥寺店にたどりつき,自転車を降りる。このころにはもうへとへとで,吉祥寺探索などどうでも良くなっていた。おなかがすいたのでとりあえず松屋で飯を食って,シップスと古着屋を何軒か冷やかし,ヴィレヴァンで格好いい男の子とオシャレな女の子を流し観しつつ,帰宅を試みる。もう迷うのはごめんなので,おとなしく駐在所に行き「田無か保谷までの最短ルートを教えてくれ」と泣きつくと,懇切丁寧に教えてくれるではないか。どうやら新青梅街道を経由し練馬住宅地を通ったのが良くなかったらしい。吉祥通りを北上し,ビックリドンキーを左折,青梅街道をひたすら西に向かって進むだけで既視感バリバリの西部新宿線柳沢駅にたどり着いた。なんとまぁあっけないこと。ここまで約20分。そこから北上し,我が住まいへ,所要時間ジャスト30分。なるほど,吉祥寺は目と鼻の先。吉祥寺町内や練馬の住宅地で迷わなければ,30分でいける。すばらしい。ありがとう警察の人。

今日分かったこと。
武蔵野市は迷路です。
一歩奧に踏み込んでしまうと,二度と出られなくなります。
ビックリドンキーが重要。
青梅街道を制するモノは東京を制する。

次は,チャリで阿佐谷と高円寺に行きたいと思う。
青梅街道をまっすぐ行けば着くらしい。
待ってろ,ラピュタ阿佐谷,高円寺商店街。
ボロをまとうカリスマアニメーターを目撃して涙
従姉妹が公務員になるために就職浪人をした。確か青学の法を出てたはず。公務員になることの偉大さと過酷さを知らないわけではないが,参考書を開くことすら出来なかったブラックスーツが,金,老後,社会保障,労働環境なんて呪文のように唱えてるのを観るとね,反発もしたくなるわけですよ。

すべてはブラックスーツを着られないことから来る苛立ちと羨望と嫉妬とねたみから。
二次元コンプレックスのオタクが,世の三次元の女性に対して浴びせる罵詈雑言のようなもの。

ようは客観性が保てているかどうか。

世界10カ国を股にかけて人生を過ごした人間がいたとしても,なんらかの文化的洗脳はされていることだろう。だけれど,そういうインターコンチネンタルな人間は自分の受けてきた教育に対し,ある程度の客観性を持っていたりするから強かったりするわけで。(断定はしないよ)
僕が重要視しているのはそこ。いまここにいる自分に対する客観性。それが出来る人間こそ真のシャカイ系だと思うんだけど。ニホンシャカイのシステムにつま先まで染まっているから,洗脳されているから,僕はシャカイ系です,ってもんでも無いだろうと思うし。

オオカミ少年/少女だってオオカミの社会に洗脳されてるからこそ,人間社会に最後までとけ込めなかったわけで,どんなところにでも洗脳はあるって,んなことは分かってるわ。
それじゃあオオカミ少年/少女もシャカイ系なのか?
キミと,ボクらと,地方公務員と,山崎パン工場キュウリ担当長と,乞食と,今日の朝自殺した元リーマンと,明日の朝自殺するOLと,オオカミ少年/少女はみんな同じ社会系?
そんな馬鹿な。
シャカイに属するぞ!と意気込む人間と,消極的に属しなければいけない人間の思想信条は得てして違うものだ。未来までもが違う。
今,賢明にシャカイを目指す人間と,惰性で目指す人間が同じ種類の人間だとは思えないし,なにからなにまで社会系なんて,それこそ意味不明。

それに誰もシャカイとコジンを切り離してなんて考えていないし。
大きな読み違いというか,一人で読み違えて興奮してる気がする。まさしく一人で阿波踊り。

芸術ってのはある程度個人的なものなの。これが決定的すぎることなのに,それを理解できないで,あるいは,一向に変革してくれない社会に対して苛だっている(だだをこねている)って馬鹿げてない?一個人の意見として。
一個人ってなんだよ。
すみません,僕はソクラテスが嫌いなんです。

そもそも芸術が個人的な(個々の)存在であるというのは,"社会的"な価値観に寄っている美術に対するアンチテーゼとして,生まれた抵抗手段が芸術なわけだから当たり前な話しなんだけどね。だけどその"個人的な芸術"に対する抵抗運動とか,芸術を芸術として神格化させようとする,ラールプールラール(芸実至上主義)なんて運動もかなり昔からあったりして色々複雑な訳よ。つまり,1+2が4になったり9になったりする不確定な世界で,まず始めに自分の老後を心配するのってどうよ?それってナンセンスじゃない?って言う話し。難しかった?
対立項としての美術-芸術,シャカイ-コジンみたいなね。
でも,切り離して考えているのではなく,あくまでも寄りつつ,もたれつつの間柄。

社会的な価値観にあるていど基準をおく美術家(技術職)ですら食えない時代なのに,個を売らなければいけないアーティストが飯の心配してどうすんだよ。
だれもアーティストが社会的な存在であってはいけないとはいっていないし,アーティストはテロリストかアナーキストでなければいけないともいってはいない。ただ,一番持ち込んではいけない(持ち込むべきではない)金銭の問題を第一の関門に設けて自分の人生を天秤にかけるセンスのない彼らの思考回路が意味不明だとなげいているだけ。

アニメーターになりたいけど老後が心配
写真家になりたいけど老後が心配
絵画で喰っていきたいけど老後が心配

心配するのは結構なことだが,食えないと分かりきっている社会(世界)に対して,"食えない""いやだ""生活が不安"と愚痴をこぼしても何の解決も生まないわけだよ。
受け入れるか,拒絶するか
それだけ

社会的に鑑みたら月5万円では食えるはずもない。
だけどもどうにかこうにか自分を納得させるためには,違う価値観へと己の思考回路をトランスミットをしていかなければいけない。なのにそれが出来ませんと嘆くのはやはり哀れだ。
Good mourning!!!!!!
近年,芸術系の大学の倍率が急激に減ってきているらしい。子どもが少なくなったと言うより,「カメラ(キャメラ)や筆や金管楽器じゃ食えない」という通念が若い世代に拡がっているからだそうだ。この傾向を"夢がない"の一言で片づけてしまうほど僕は老いてはいないつもりだけど,まず始めに金銭ありき,そのハードルをクリアした上で自分がやりたいことを見つける云うスタンスはどうなんだろうか。賢明といえば賢明だし,当たり前といえば当たり前だとは思うけれど,アーティストになりたいって言ってる奴らが老後の心配するなんてやっぱり馬鹿げてるよね。親の教育とバブル以降の日本社会の影響なんだろうか。不気味な話しだ。

価値の基準を社会に預けるか,あるいは自分の中に置くか。

焦り,あきらめ,葛藤,あがき,自爆,誤算,テロル,自問

流れに身をゆだねるって云うことは,何と気持ちがいいことか。

社会と価値観を擦寄せていく行為。それが就職活動。

知ったふり。

ただ一ついえることはゴールデンウィーク明けても内定がこない就職活動中の学生よりも僕の方が憂鬱だと云うこと。
「お前らなんか眼中にないし,そもそも比較の対象じゃないよ」
とかいわれても,こっちだって生き物なんだし,頭だってついてるし,比較してしまうのだからしょうがない。


ある種の洗脳を受けたエージェントスミスがそこら中にうじゃうじゃ。
そして律儀な奴ほど滑稽に見える。
受験生とか,黒ずくめの大学4年生が滑稽に見えるのはそのためだろう。
「おはようMRスミス,そんなに安定した生活と老後が欲しいなら,おとなしく公務員になれよ」
明大の前にたむろするブラックスーツの若人達に僕は毎日語りかける。
やや見下した調子なのは,僕がブラックスーツを着る可能性を持っていないから。僕だって老後は心配するけれど,彼らを観ていると,本当に教育(洗脳)ってのは偉大だなとつくづく思うわけで。
傍観者の意見は常に痛烈だ。
上祐派になってみて改めて麻原派の不気味さが分かるみたいな。
どっちもどっちなんだけど。
やっぱ大卒生には勝てないよ。違う方向で勝負しないと。
違う方向ってなんですか?
知りません。
そして僕はエージェントスミスにはなれないのです。


そもそも就職活動なんて相対化されるべき問題じゃないし,履歴書を比べるのは会社なんだから,ありのままの自分を受け入れて今やるべき事をがんばるべきだ。
なんて女性誌の占いコーナーかっつーの

でも僕なんかは
「きみは,この先ちゃんと生きていくつもりは毛頭ないんだろう?」
なんてことをダイレクトに社会人に言われてしまうわけで,ひときわ真面目に生きてきたつもりだったのですがねぇ。

一日中タバコを吸うことぐらいしかやることのない古着屋の兄ーちゃんの生き方が仏道に近い。
ニートは親のすねをかじってるだけ。
今の僕はさらに中途半端。
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