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映画悲報
知りたい人と知りたくない人の対立という話の中で,町山智浩が映画秘宝で主張していたことを思い出した


この百年間に全世界で作られた映画の99.9パーセントは"サイテー映画"なのだ。""映画が好き!!""と言ってい奴らのほとんどが最上段の「イイ映画」だけしか観ていない。丘の上の名所しか見ない観光客と同じだ。眼下に広がる巨大スラムを見てから好きといえ!

「エド・ウッドなんてましなほうだ!!」町山智浩



読み返すたびに頭の痛くなる言葉だ。
僕自身も0.1パーセントのおいしい部分しか見ていないし,残り99パーセントの"サイテー"を進んで見る気も起きてこない。「こちとら忙しくて,スラムなんか見てる暇なんてねーよ!!」と叫びたくもなる。エド・ウッド以下の映画なんて真っ平ごめんだ。



ここで町山が主張したかったのは,自分の好きなものの正体を知ることの重要性なのだろう。


好きだという割には好きな対象を何も知らない愚かな(!?)人々への憤り。昨今の第三世代オタクへの批判を髣髴とさせる。

「ランキングの上から10番目までを追い続けているだけの"くせ"に,映画好きを語るな!」という,ある種の一方的な断絶は,物事の判断を瞬発力に頼り,深く考えようとしないヌルイ人間に対する批判でもある。やや幼稚というか,高校生がおちいりそうな思考構造であるという点はおいておくとして,憤りは十分理解できる。だがそんなヌルイ人間たちによって世界は構成されているのもまた事実。そうでなければエドウッドが極貧のなかで死ぬことは無かった筈だ。

町山は,自分が,あるいは自分の周りが特殊だっただけであるということに,もう少し自覚的になるべきなのだろう。これは岡田も含めて。彼らが行うべきなのは,大衆批判ではなく,大衆の先導,いいかれば啓蒙活動のはずだ。


ベクシンスキを丘の上の観光スポットとして扱い,美術/芸術の文脈から切り離そうとする人たちに対して憤りを感じてしまう僕も彼らの仲間なのかもしれない。見えない大衆を批判することで,より優位なセクトに所属しようと必死になる。悲しいかな,僕もまた俗人なのだ。


見たい聞きたい知りたい人間がいるように,見たくない聞きたくない知りたくない人間も当然いる。両方のセクトの共生は無理だって分かっているのだから,お互いを無視して生きていくしかないのだ。

見たくない奴は見ない,見たければ勝手に見る。
価値観の差は"絶対に"批判しない。
その不干渉の徹底さえ出来ていれば,オタクを殺さないで済んだし,お互い平和に暮らた筈なのにね。

もっとも平和が常に良いとは限らないわけだけれども。

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