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押井ルパン
(お流れになった)押井版ルパン3世(劇場)の制作開始を前に開かれた座談会

押井守×宮崎駿×大塚康生 鼎談



「監督・押井守」決定の経緯

AM 「ルパン」の監督に押井さんを推薦したのは宮崎さんだという風に聞いているのですが,まずそのへんの事情から
宮崎「カリオストロが終わった時点で,「もうルパンはいいや」と僕自身は結論を出してしまった。その理由は,僕自身が中年になっていくに従ってルパンもちゃんと中年になっていく。なんかこのままやっていくと,ルパンは初老になってしまうんじゃないかと思って(笑)。それと,いまもしルパンをやるとしたら,泥棒は簡単には出来ないだろうなって気がしたんです」
AM というと?
宮崎「日常の中に田中角栄に代表されるような小悪党ならいっぱいいるし,サラ金に行ってガソリンに火をつけるといったことが日常的におこるようになっちゃったでしょう。だからルパンのやることが夢物語でなくなってしまった。それに,ワッいいものがあるぞっていうので,物をドンドン盗むというのは高度経済成長期の発想でね,安定成長期というのは,もう物なんてどうでもいいやという風になる。何を盗ませていいのか,段々わからなくなっちゃった。「カリオストロ」を作ったころから,もうそういう時代でしたね。そんなこんなで,もう自分としてはルパン本来の持ち味を生かしていく年齢を越えたなという感じがあって「ルパン」をまたやるなら,もうこれは若者がやるしかないなと思っていたわけです。で,その話を藤岡(豊)さん(東京ムービー社長)とね,何かの折りに話していたんです。そのときに押井さんの名前が出た。もう数年前のことだけれど。「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」って,藤岡さんがいったんですよね。「うる星」でね,押井さんの名前が業界のお偉い人にとどろくようになっていたんですよ。」
大塚「藤岡さんは良く僕にも言ってたね。「うる星やつら」はうまい・動きが冴えてるってね。」
宮崎「で,今度の映画の話が,「やらないか」って僕のところに来たから,僕はもう出来ないから,押井守が適当だろうといったわけです。偶然,横にいたしね(笑)。(注/スタジオピエロを辞めて仕事場の無い押井守さんは現在,宮崎さんの事務所に"いそうろう"なのです)それに,「ルパン」という」企画は懐が深いんです。だから何かやりたいことをもっている人間とうまく合体すると,とんでもないことができるのじゃないかという気がしてましたからね。」
AM なるほど。で,押井さんに話がいったと。そこで押井さんもいろいろ考えたと思うのですが。
押井「ええ。さっき宮崎さんがいった通りというか,ルパンは企画としては色々な物を持ち込んでも成立する世界なんです。けど,話があったときは,やっぱり断わるつもりだっんです。いろんなことをあらかたやっちゃってるし,できないんじゃないかと思って。」
AM でも,結局やることにした。
押井「ええ。というのは,僕にはやりたいと思ってずっと抱えているんだけど,どうしても実現しないテーマがあったんです。なぜ実現できないかというと,それを入れる器がなかったんです。ところが,この「ルパン」という企画にやりたいと思っていたそのテーマをはめ込んでみたら,かなり展開が開けてきた。その一方で,そのテーマを「ルパン」そのものも,もう一回映画として成立するんじゃないかという気がしたんです。その両面があったので,今回の仕事をやることにしたわけです。」
AM なるほど。
押井「けど,今回監督をやることになってスタッフを集めるために,いろんな人間に会って分ったことなんですけど,どうにかやれるというルパン幻想っていうか,それをもっている人たちはおおむね30歳を越しているんですね(笑)。」
押井「僕が今回集めたスタッフのメインは22歳から23歳なんだけれど,彼らはまず最初に,「いまさら「ルパン」でなにをやるの。イヤだ」っていうのね。ルパンに何の幻想ももってない。だから,今まで色んな人がやってきた手垢のついた「ルパン」だからこそ,逆にこういうことができるんだと,一つ一つ説明して納得してもらいました。」
AM 若手スタッフには「ルパン」というと,もうある一定のイメージがあるんですね。
押井「「ルパン」っていうのはもう,13.4年やっているわけだけれど,それぞれの段階で様変わりするチャンスは幾らでもあった。たとえば「カリオストロ」なんかはそういう意味で成功している。だから自分がルパンの中でやりたいと思うこと,また,やれるだろうと思うことを見つけられれば,新しい自分なりのルパンを作れる。いいかえれば,今の時代を生きているルパンが見えてくればやれると僕は考えているのですけれどね。」


演じる人間----ルパン

AM ところで,大塚さんは「ルパン」とはパイロットフィルム(昭和44年)からつき合われているわけですが,その長い経験を踏まえた上で押井「ルパン」に何を期待していますか!?
大塚「僕は動かして遊ぶのが好きだから,期待するのもまずそういう視点になっちゃうのだけれど・・・「ルパン」という作品は僕やミヤさんの戦車をだしたい,車をだしたい,拳銃をだしたいっていう好みがにじみ出ていると思うんです。そういういった小道具っていうものは,そういうことに興味が無い人が描いても何の魅力も出ないんですよね。戦車をよく知っていて,それをどんな風に扱うかを知っている人が描いて,かつそれが劇の中にうまく組み込まれたとき,初めて面白いんです。そういった面白さが「ルパン」の魅力を部分的に支えていると僕は思いますねぇ。だからスタッフはそういうことが好きな人をどうしても集めておかないとね。」
宮崎「物に対するこだわりをもったスタッフということですね。」
大塚「うん,そういうこだわりをもった絵描きがいないと,成功しないと思いますね。そらからもう一つ僕が今度の「ルパン」に期待したいのは,演じる人間・ルパンの魅力を忘れないで欲しいってことだな。」
AM 演じる人間!?
大塚「そう。ルパンっていう人は,演じている人なんですよね。ほんとうこういう人間なんだけど,仮に悪ぶって見せるとか,仮に純情そうに見せるとか,別の人間を演じているわけです。「カリオストロ」でルパンがクラリスに見せた距離をおいたやさしさ---ほんとうは好きなんだけど中年の分別で,その気持ちを隠して去っていくやさしさ。あそこでルパンは演じているわけです。ああいうことが,ルパンの魅力でもあるわけだから,そこをちゃんとおさえて作って欲しいと思いますね。」
AM いまの大塚さんの話は,格キャラクターの性格設定にも繋がると思うのですが。
大塚「そうですね。峰不二子なんかは色々遍歴のあった女という風になっているし。」
宮崎「けど,不二子の性格設定というか,それは彼女の魅力といってもいいと思うんだけど,それを間違えて理解している人がいるんですよね。」
AM というと?
宮崎「安っぽいキャバレー「ロンドン」で,(文字潰れ,解読不可能)る人が居るでしょ。ありゃ絶対おかしいと思いますよ。」
大塚「もうちょっと奥行きがあると思いますよね。」
宮崎「不二子がそういう安手の色気を使うのはいかにも薄手の人間の場合なんですよね。もう少ししたたかな奴を相手にするときは,ちゃんとハッキリした態度を取っていく女だと思うのね。(色気の)使い場所をちゃんと心得ている女だと思うのね。それじゃなかったら,魅力なんかでっこないもんね。」
大塚「そうなんですよね。そういう意味では不二子をはじめ,各キャラクターの性格設定がちゃんとあって,そのアンサンブルがあの作品の魅力を出しているとも思う。押井さんにも,各キャラクターの性格をかなり細かく書き出して,文章化してよく吟味し,それを映画の中で取り違えないようにして描いて欲しいですよね。性格間違えちゃうと,表現までおかしくなっちゃうでしょう。その上で,あまり過去のものにとらわれないで,自分の物を打ち出していくのが正当だし,そうでなきゃいかんと思いますね。」


ルパンと時代を結ぶ糸口"変装"

宮崎「そういう視点で考えていくと銭形を今回どう描くかっていうのは難しいですね。銭形もはっきりした性格設定を持っていますからね。」
AM どういう意味でしょう?
宮崎「いや,12,13年前に「ルパン」をやっていたころは,お堀端にある古い昔の茶色い警視庁にね,銭形っていうのがいて,役に立たない警官大勢つれてて(笑),ルパンはルパンでどっかとんでもないところで捕まっているくせに,なぜか日本の警視庁の留置所に入っている。で,鍵をコチョコチョってやるとなんなく出てこられるという風に,いいかげんな話で済んでいたんです(笑)。」
大塚「ほんといいかげんな話だった(笑い)。」
宮崎「ところが,今は時代が全然違う。警視庁といったら,すごい近代的なビルで,巨大なモニターテレビがダーっと並んでてパトカーはどこに配備されてるって全部わかってて,犯罪人のリストのスイッチを押すと,指紋から顔から全部スクリーンにダーッと映る。そういう近代的な場所で銭形みたいな男がやっていけるはずが無いと思う(笑)。この十何年の技術の発達を無視しちゃうと完全なアナクロセンスになっちゃうしね。」
大塚「アナクロだねぇ,そうなると。」
宮崎「だから,その変化をどう取り込んで,かついまの現代でも存在感のある銭形にするかを考えていくと,ぼくなんかもう"屈折"の塊になって悩んじゃう(笑)。銭型なんて,窓際族にしかならないだろうなぁと思っちゃう。」
AM そのへんを今回,押井さんはどういうふうに考えていますか?
押井「うーん・・・そうですね。ルパン党というか,ルパン・次元・五右衛門・不二子はなんというかそれなりにつかめるんですよ。どういうふうにかっていいうと,彼らは時代にも土地にも根ざしていない自由な人間,通過する人間なんですよね。たとえば,クラリスはルパンと別れたあとでもカリオストロ公国でまた一人の女として生きていく,いわば舞台に残る人間。けどルパンはもう多分あの国には戻らないと思う。つまり彼は通過していくだけで舞台に残るわけじゃないと僕は考えているわけです。ところが銭形っていうのは,基本的に定住者なんですよ。だから,生きている年数や時代,そしていきてきた土地をその背景に髣髴とさせる。その銭形が,過去の作品でそうだったように(同じ体力・ねばり強さ・維持で)またルパンを追いかけることが出来るかって言うと,もはや出来ないんじゃないかって気がする。」
宮崎「ぼくなんかもね,もしいま「ルパン」をやったら,銭形はルパンの味方にしかならないという気がしますね,暗黙の内の同志というかね(笑)。」
押井「(笑)ふたりには,時代からはみ出してしまったもの同士の,ある種の共感みたいなものがありますからね。「カリオストロ」の場合,銭形も入ってルパン一党は,クラリスを救うという点で,はっきりと同盟者になっていると僕は思うし。けど,今回の映画でもそういう感じに描くかっていうと,ちょっと納得できないっていう思いもある。そんなわけで,銭形をどう位置付けるかっていうと,ちょっと納得できないっていうことに,今一番悩んでいるんです。居場所を見つけてあげられないんですよ。
宮崎「確かにそうだね。"俺"がいま話をつくるとしたらね----窓際族の銭形がいてね,なんかどんどん年寄りの雰囲気になっている,「ルパンはこのごろ出んな」とかいいながらお茶を飲んで,新聞広げてる。通り魔殺人とか起こっててもね,それなのに出番はなしという感じで。ルパンが生きているからやっと生きがいが見つけられているっていう風なわけ。で,ある事件が起きる。その犯罪の前には,科学的な調査陣も特殊部隊もコテンコテンにやられてしまう。そこで活躍するのがルパンの思いつきのカンと銭形の体術。そして,それだけで事件が解決されていくというような話,それしか思いつかないな。」
押井「ぼくが一番最初に考え付いたのは,サラ金会社に強盗が入って,篭城する。その強盗って言うのはオフクロやら友達やら先生にまで説得されるんだけど,最後まで見苦しく抵抗するチンピラみたいな強盗。銭形はその事件の指揮をとっているのだけれど,うんざりしている。「こんなの犯罪でもなんでもない」って。で,なんとなくルパンを懐かしく思っているんだけれども,もうルパンは出てこれない世の中になったなということも,漠然と知っている。そういう雰囲気の話を考えていた。でも,全部やめた。」
AM 理由は?
押井「やっぱりそうじゃないのね。今いったような状況のところにルパンが神秘のベールをはためかせて登場するっていうのは作りたくない。つまり,時代から疎外された者同士-ルパンと銭形の共感みたいなものがドラマを支えてはいけない。ルパンというキャラクターをもう一回出すならば,もう一回時代に切り込ませなくっちゃと思ったからなんです。時代を嘆くためにルパンを出す。それをやらないと,もう一回ぼくがルパンをやる意味が無いという気がしたんです。」
宮崎「非常に良くわかる。それが,押井さんの今回の役目だね。」
AM じゃあルパンを時代に斬りこませるにはどうしたらいいのかってことになると思うのですけど。
押井「そこで閃いたのが,さっき大塚さんがいった「ルパンは演じている男だ」っていうことなんです。大塚さんとぼくの捉え方はちょっと違っているかもしれないけど。・・・・ルパンがルパンである必須条件は非常に古典的だけど,変装なんですよ。この変装ってことを,今回はテクニックとか特技としてではなく,世界の本質とルパンが斬りこんでいく際の,ひとつの糸口として考えているんです。」
AM 変装したルパンが現代社会の中で,その社会の本質に突っ込まざるを得ないような何かを盗むという話な訳ですか?
押井「というより,ルパンは時代にもう一回斬りこもうとしている。けど,その方法がわからなくて,本能的にある準備をしているという辺りからやりたいと考えています。事件は起こっているのだけれど,ルパン自身とはなかなか結びついてこない。そこでルパンをもう一度,その事件にからませる,つまりこれは時代と関わらせるということだと思うのですが,それが不二子の役どころだと思っています」
AM いわば,出馬をうながすわけですね。
押井「ええ。それは不二子にしか出来ないと思う。次元は非常にやさしい男でルパンにそういうことをけしかけるとか押しやることは出来ない。それに,あれだけズルズルベったり男が二人でいると,そういった契機は生まれにくいと思う。五右衛門はというと,もちろん彼でもない。彼は時代を超越しちゃっている男だから。逆にいえば,果てしなくおちこぼれた男ですから。そう考えていくと不二子しか,その任を果たせる人はいないわけです。不二子は女です。最後に男の行動を促すのは,いつも女。僕は,勝手にそう考えているんです。」
AM なるほど。でも,そういうふうにみていくと,また先ほどの話にもどりますけど,銭形をのぞいて,ある程度各キャラクターの関係というのは,押井さんの中で見えているようですね。銭形だけが見えていない?
押井「銭型だけがどうしてもわからない。このままいくと,わんないままやっちゃうか,やっていくうちに見えてくるのか・・・いまのところそういう状況なんですよ。」


いま「ルパン」をやる意味

宮崎「今の話にでた,時代という事を考えていくと,もう一つ難しい問題がでてくるね。つまり,この世界ルパンに何を盗ませるのか。こういう世界で,何を盗んだら犯罪と考えるのかなっていうのは,難しいですね。冒頭にもちょっと言ったけど,世の中全体が泥棒しているような時代でしょ,今は。」
AM それは例えばどういうことですか?
押井「あのね,日本人は海老を食べてると思うのだけど,あの海老は東南アジア海域の海老を全部さらってきちゃったもんなんだそうですよ。もし,そうしないと,日本人の口に入る海老は極端に減るって聞いてます。いま宮崎さんがいったことはそういうことを指していると思う。国家単位で泥棒行為的なことがされていて,明確な意味での犯罪が成立しにくいというか。
AM 昔のように,白黒がはっきりつけられないというか?
押井「だから,本当の意味での犯罪は現代ではたぶん成立しないと思うのね。やろうとするともっと大きな機構としての犯罪に必ずぶつかるはずだから。」
宮崎「そうですね。」
押井「だから,ほんとうの意味での犯罪は,現代ではたぶん成立しないと思うのね。やろうとするともっと大きな機構としての犯罪に必ずぶつかるはずだから。」
宮崎「そうですね。」
押井「それを乗り越えるような本当の犯罪は何なのかっていうと,結局それはもうある一つのものを盗むことしかない。他には有り得ない。もう決まっていると思う。」
宮崎「みんなが突破できないと思っているものを,まんまと突破してみせるって事だね。」
AM あの,結局,それはルパンが何を盗むということになるのですか?
押井「うまく伝わるかどうかわからないけど時代そのものを盗む,ってことだと僕はとらえてる。そして,それが盗みきれるかどうか,宮崎さんの言葉でいえば最後まで突破しきれるかどうかっていうことが,いまの時代の問題だと思ってる。だから,今回のルパンでは,そのへんのところ,つまり,最後まで突破できる人間がいるのか,あるいは突破することがどういう意味を持つのか。そしてそこまで突き抜けちゃった人間が見た,現代はどういう風に見えるのか,それを描いてみたいと思っているし,かなりやれそうだという気がしているわけなんです。」
AM やってみたいことは,かなり抽象的な観念なんですか?
押井「そうなんです。けど,それだからというか,ストーリーのパターンそのものは,きわめて正当な古典的な骨組みにするつもりなんです。その中で,越えられないものを越えようとすることで,どれだけ行為がグロテスクに歪んでいくかということも書きたいと思っています。」


現代における映画の役割

宮崎「押井さんのやろうとしていうことは,すごくわかるんだけど,その一方で「ルパン」みたいな映画っていうのは,とにかくスッキリっていうのが非常に大事な要素なのね。ああいうのに金払っている人間はね,スッキリしたくて劇場に来るわけですよ。」
大塚「そうなんですよね。それはすごく大事なことだと思う。」
宮崎「だから,僕なんか「ルパン」の場合は,一種の青春映画の要素を永久にもってなきゃいけないはずだと思ってるわけ」
AM 青春映画というと?
宮崎「つまりね,何時の時代でもどんな社会でも,欲求不満のかたまりという青年はいるわけですよ。"スカンピン"で,頼れるのは自分の能力だけっていうそういった青年が,なにかやってやろうと旅に出る。で,鉄砲撃つことしか能力の無い男と出会ってチームを作る。けんかしたり助け合ったりしながら,みごとフォーマルな社会の規範を超えて,したいことをしていく。それは,こうも隙間は無いと思っていた社会でもまだ十分に隙間はあるぜってことを,見事に演じて見せてるって事になるわけです。そしたらそれはもう青春映画になると思うんですよ。」
押井「確かに,まだなにものでもない男が自分以上の男とか,社会とかをまんまとだまし抜く。してやったりという映画はマカロニウエスタンやなにかにもあります。でもそれと同時に,主人公の男がやりたいと思ったことが,結局やれないんだということを冷静に描いていくっていうのも映画だと思うんですよ。で,今回の「ルパン」でそのどちらをやるかっていうのは,いま岐路に立っているところなんです。だけど,ある時点では,いまいった両方の要素を満たしていかなければ映画の厚みは出ないと思うし。」
AM ということは,製作していく過程で,そのどちらの映画になってくかが分るということですか?
押井「やってみて,まんまと出し抜けたらそれでいいと思う。でも,前提としてなにがなんでも出し抜こうとは思っていないんです。それだと,どうしても閉じられた世界になってしまう。僕の考え方としては,映画っていうのは,ある力をもつためであれば,なんというか,美しく破綻してもかまわないと思う。」
宮崎「でもねぇ「ルパン」みたいなものは,やるんだったらエンターテイメントに徹する覚悟がないと,と思うな。」
押井「ただ,エンターテイメントっていうのはお客さんが見たがっているものを見せてあげるって事では必ずしもないと僕は思うんですよ。」
宮崎「本当は自分はこういう映画が観たかったんだっていう風に,観客が気がついてくれればいいということでしょ。」
押井「そういうことなんです。あなた方,こういうものを見たがっていると思うんだけどこういう風にしてみました。でも,このほうが面白いでしょう「ああやっぱり面白かった」っていってくれればいいわけで」
宮崎「まさにそれなんですよ。」
押井「たとえばね,「インディ・ジョーンズ」観てても,観ている間は,けっこうハラハラドキドキするんだけども,それだけなのね。観終わっても「ああ,すごく楽しかった」っていうね,それだけ。ボーッとして頭かかえて映画館から出てくるって感じじゃない。これはどういうことかというと,観たがっているものをみせてもらって,ああ楽しかったと思いはするけど,本当に満足する人はいないということなんです。旅行にたとえてみれば分りやすいと思うんだけれど,人は旅行に出て,名所旧跡をたずねて満足して帰ってくるわけじゃない。そこである違う人間に会ったとか,予期していなかったものを見たとかで,人は旅行に誘われる訳ですよ。」
宮崎「そのとおりだと思いますよ。」
押井「旅行と映画も同じとすれば,なにかある種の期待を背負って映画に行く。その期待を裏切られてもかまわないから,まったく自分の予想を越えたなにかと出会う。つかの間そのなにかと同行して,最後にまた分かれて帰ってくるといったものだと思うんです。そしてその予想を越えた何かが,映画が世の中に対して与えられる唯一のものだと思う。僕は単なる消耗品としての映画じゃなく,いま言った役割を担える映画を作りたいし,それをやらなければ意味はないと思うわけです。「ルパン」をいまの世の中に生き返らせるって事と,今いったこと------時代に向けて映画をもう一回鋭い何かにしていくって事とは,僕の中では今ひとつになっている。それに,アニメーションという媒体だと,いまそれが一番やりやすいと思うしね。」
宮崎「実写映画よりやりやすいね。」
AM どういう意味なんでしょう
押井「いまね,世界とか人類とか,そういうことを大真面目にいって噴出さないで済むのはアニメーションだけなのね。実写で,そういうこというと,みんな笑うに決まっている。」
AM それは確かにそうですね。まじめに「人類を救うには」なんて実写映画でやられたら,シラケちゃう。
押井「でしょう。でも,アニメーションの場合は,それはもう作られた抽象化された世界なんだって,映画が始まった瞬間から客は思えてしまう。だから,実写よりも,さっき言ったようなことを真正面から恥ずかしがらずにいえる。それに,虚構とか現実というものを遙かに論理的に扱えるわけです。だから僕としては,そういうことがやれると信じられるあいだは,アニメーションを作ると考えているわけです。」
宮崎「なるほどね。いや,こりゃ,きっと面白い「ルパン」ができますよ。押井さんの意気込みをみていてそう思う。あとは20代のアニメーターが,彼らのファッションで軽く軽く行こうとするところを,どういう風に押井さんが繋ぎとめるかってことにかかっている気ががしますね。頑張って下さい。」








※ 押井がルパンを語るくだりは,ルパンをパトレイバーと置き換えるて読むと面白いかもしれない。ルパンのアイディアがそのままパトに繋がっているとも読み取れて,とても興味深い。



追記
いつの対談だ?という質問があったので。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/745995.html

これは,まさに押井監督が宮崎監督の叔父の別荘に転がり込んでいた時期に行われた対談なので,吾郎さんがブログで仰られている通り,20~21年程前に行われた対談ということになります。
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000252.html

今を去ること20年前、まだ高校生だったころ、
私は押井守監督と出会っています。
場所は、信州にあった祖父の別荘(というより山小屋ですが)。
頃は、夏の盛りだったように記憶しています。
当時、押井さんは三十半ば、まさに紅顔の美(?)青年といったようすで、
真っ白いランニングシャツが印象的でした。

別荘にいるあいだ、押井さんと父は、えんえんと
アニメーションに対する持論をまくし立て合っていました。


ここで宮崎吾郎さんと押井守監督は運命的な出会いを果していたんですね。

余談ですが宮崎吾郎さんは1967年生まれ。「時をかける少女」の監督である細田守さんも1967年生まれで同い年。片方はジブリの監督職を首になり,片方は七光りで監督就任。そして両者の作った映画が今年の夏に同時に公開されるわけです。つくづく運命とは皮肉なものですね。
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