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羽田に行ってみろ そこには海賊になったガキどもが今やと出発を待っている
羽田に行ってみろ そこには海賊になったガキどもが今やと出発を待っている
(原題 課外授業 暴行)
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監督 瀬々敬久
助監督 小原忠美
脚本 佐々木宏 瀬々敬久

出演
中島小夜子 松永久仁彦 清野歴史
小川真実 佐野和宏



邦画は久しぶりに見たのだけれど、いやぁ驚いた。
この衝撃はヘンリー塚本以来。
昭和のエロスというものは僕らをどこまでも惹きつける。

AVの寡占が始まるぎりぎり前の時代(80年代後半から~90年代前半)のポルノ(ピンク)映画に興味が沸いてきて、ピンク四天王と呼ばれる監督の作品を始めて観てみたのだけれど、これはどうみてもピンクじゃない。現在の邦画シーンと若松孝二を足して割ったような、時代の過渡期に生まれたキワモノムービーだ。実験的でありながらエロいという方向性に、18禁アニメと非常に近しい衝動を感じた。実験的であるとはいってもそれは前時代的な実験であり、決して新しいものではない。その時代錯誤的な(だって時はバブルの真っ只中)映像に、僕らは喚起し勃起する。
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出演女優の乳首は真ピンクで、しかも相当若く、それはそれで驚くのだけれど(あえぎ声と低い発声に時代を感じる、しかも音声はアフレコ)、それ以上に画面の構築が半端じゃない。なんだこのレイアウト映画は。動きや流れというものをほとんど放棄している。暗くて何が映っているのかわからないなんて当たり前。何を目的としたのか釈然としないカット、演出多数。1989年製とは思えない保守的な芝居と古いキャメラワーク。唐突な脚本と演出のせいで、真剣に見ていてもストーリーがまったく見えてこないという可笑しさ。まるで前衛演劇だ。

画面の配置の仕方がいちいち押井アニメ臭いのがかなり気になる。影響を与えているのか。はたまた影響を受けてしまったのか。それとも同時代的なノリなのだろうか。

排水、水辺、海、埋立地、そしてバラック、その対比としてのネオンと高速道路、新宿歌舞伎町、巨大な工業施設、そしてゴミの山。非常なまでに記号的。というか、そういう記号を撮りたくて、映画を作っているような印象。やはり90年代の押井と存在がダブる。
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僕自身が何でも押井っぽく見えてしまう"押井脳"を患ってしまっているという可能性も、もちろん否定できない。

ト 寝転がって太宰を読む青年
青年「生まれてすみません、やっぱ太宰は何度読んでもええの~」
ト 小説を奪ってカップラーメンの蓋にする

この芝居に爆笑。80年代だからギリギリ許される狙いすぎな演出。

確かに若松の映画よりは洗練されてはいるし、青山の映画よりは意味がある。純粋なる若さではなく、若いという愚かさ/滑稽さに焦点を当てている分、若松映画よりも共感できる。明確な主人公が存在しないというのも、現代的だ。

ここまでガチガチのレイアウトを構えられると、アニメに見えてしまうよ。ほんとうに。
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絵的に凄く美しい

こういう人たちを無視しちゃ駄目だなぁと、そう思った
奥山順市のアナーキー・フィルム・フェスティバルにいってきた
言語を超越しようとすると必ず言語が付きまとう。そんな平凡な事実を再確認するような映画祭だった。

http://www.imageforum.co.jp/okuyama/

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圧巻だったのは『切断』だろう。日本ではじめてVJを行った奥山順市の記録映像。映画の上映中に奥山がフィルムを切断し,フィルムをフライパンで揚げてみたり,擦ったり,燃やしたり,生でフィルムを加工し,それを上映する実験映像。もちろん奥山がフィルムを加工している間は,観客はブラックアウトしたスクリーンを延々見続けなければいけない。1分あるいは2分。正直しんどかったが,このケツのモジモジ感も作品の一部なのだろうということで自分を納得させ,耐え忍んだ。1969年時点のインスタレーション。フルクサスもビックリの前衛さ。

モダン・ウンチング・タイムスは,一日に食べたものを淡々と読み上げながら,その結果お尻から生まれてきた黒い物体を観客に見せ続けるというスカトロチックな実験映像。モンタージュ処理が加えられており,当時の学生運動の映像が薄くバックに流れていたため,それほど気持ち悪い映像ではなかった。上映中,僕も新しいブログを立ち上げて真似してみようか,スカトロ好きにウケるんじゃないかとか,そんなくだらないことを考えていた。

その他の作品は,わりかし退屈で,ひたすらリピートし続けるイメージの連鎖にあくびを一つ。僕の両隣の映画好きは涎を垂らし続けていた。奥山自身が何かフィルムに加工をしていることだけは伝わってきたが,説明されなければそこで何が行われているのか分かるわけが無い。フィルムが擦り切れていったり,溶けたり,燃えたりすると云う,目に見える事実を確認するだけの作業になってしまっていたのが残念だった。
上映後に奥山から各作品に説明が入り,ようやく彼が当時映写機の前で何をしていて,何を写していたのかを詳しく知る。言語無しに言語を超えることは出来ない。そんな結論。

宇川直宏が「ライブじゃなくちゃ奥山さんの映像は理解できない」と語っていたが,まさしくその通りだと思った。彼の映像とそれに伴うパフォーマンスはフィルムに記録されたとたんに意味を大幅に失ってしまうのだろう。逆説的でおかしな話だが。


それと,やはり映像がくど過ぎる。フィルムが溶け出した時は正直度肝を抜かれたが,10分も同じことを繰り返されると,やはりマンネリしてしまう。どんなに斬新で気持ちよくても,10分間も同じ体位を続けられたら飽きがきてしまう。そういうこと。
構造映画という概念も悪くは無いが,もう少し飽きずにみられる映像も流してほしかった。これはプログラムを組んだ人間に対する批判でもある。やっぱり実験と名の付くものを鑑賞するときは寝そべって焼酎を煽りながら聴く/見る/読むに限る。


そういう意味でも,奥山順市は早すぎたVJなのだろう。
フロアでみたら楽しそう。



うんこやゲロがスクリーンに写るたびに「ぎゃはは」「すげー」「プゲラ」とオーバーリアクションをとる人が後ろの席にいて,うるさいな空気読めよと心の中で愚痴をこぼしていたら,宇川直宏だった。それだけ。



ホドロフスキーのホーリーマウンテンを見た
地方にすんでいたころ,見たくても見れなかったものがホドロフスキーの映画だった。

世界最高のカルト映画だと聞いていたので,久しぶりにわくわくしながら映画鑑賞。

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1地時間ぐらいして分かったこと。ユダヤ人がカルト映画を作ると,お笑いになってしまう。
ホドロフスキーがいきなり画面に出てきて,ぎこちない合気道を始めたり,
「これはお前の糞だ!!」って叫んでみたり,笑わずにはいられない映像が盛りだくさん。

我々は虚像であり,夢であり,写真である
囚われたままでは いけない
幻想を破ろう

グッバイ ホーリーマウンテン

現実が待っている

ホドロフスキー





音楽が凄いよいです。
不協和音好きにお勧め。
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